問題は、ビジネスなどの世界でも同様のことが起きていることです。青色発光ダイオードを発明して会社と報酬に関して争った中村修二氏は、米国に移りました。おそらく給料も研究費も充分にもらえているのでしょうが、米国経済にはそれ以上のメリットがあるはずです。(その分だけ日本経済には打撃になっているはずです。日米の開発力競争という観点からは、その二倍の打撃かもしれません。)中村氏ほど有名な人ではなくとも、こうした例は多いようです。金融の世界では、邦銀にいたプロたちが外資系に移って活躍している例が多いようです。外資系日本法人で活躍すれば、日本経済という意味では問題ないのでしょうが、日本企業という意味ではやはり大きな打撃でしょう。
日本企業は、新卒採用の終身雇用制を前提としてきました。仕事の能力が未知数である学生を複数採用し、「中には給料以上に貢献する人も給料以下しか貢献しない人もいるだろうが、平均して利益が出ればよい」と考える企業と、「自分の仕事の能力は未知数である。それなのに、失業せずに同期の平均の給料がもらえる保証があるならば、安心だ」と考える学生の間の合意としては、お互いがハッピーだったと言ってよいでしょう。こうして「同期トップと窓際族の処遇にあまり差がないシステム」が成り立ち、おかげで企業は役職員の共同体として皆が愛社精神と会社への忠誠心を持つという素晴らしいシステムが機能してきました。このシステムは、「グローバル・スタンダードから外れている」などと言われていますが、システムそのものの優劣としては、一長一短で、グローバル・スタンダードと何れが優れているのかは、何とも言えないように思います。
数年前にグローバル・スタンダード信仰が一世を風靡していたころ、日本も米国の真似をすべきだと信じられていました。その時筆者はオオカミの国と羊の国と、どちらが優れた国かと考えたものです。どちらに住みたいかと言えば、羊の国でしょうが、どちらが強い国かと言えばオオカミの国でしょう。国境の壁が高ければ、羊は平和な生活を謳歌しているでしょうが、一度壁が低くなると、ひとたまりも無くオオカミにやられてしまうでしょう。そうなった場合、羊の選択肢は「オオカミに対抗して牙を磨く」か「国境の壁を高くして孤立戦略をとる」かの二つです。当時の通説は、「グローバリゼーションの時代に孤立戦略はあり得ないから、我々も牙を磨く必要があるのだ」ということだったと思います。
しかし、その後の推移を見ていると、それほど単純なものではなかったようです。人事制度に関しても、理屈からすれば、日本企業が壊滅的な打撃を被っても不思議ではありませんでした。米国では報酬は貢献度に応じて支払われますから、貢献する能力のある人は高い給料で引き抜かれ、能力の無い人は日本企業に残るという理屈であり、日本企業には「中の給料で低の貢献をする人」ばかりが残っても不思議ではなかったわけです。そうした面が皆無であったとは言いませんが、現在までのところは、能力の高低よりも日本企業の文化に馴染む人が残り、米国の文化に馴染む人が転職したという例の方が多かったのかもしれません。
では、今後仮に有能な人材の流出が加速したとして、日本経済への打撃はどの程度のものになるのでしょうか。21世紀の先端産業は、知識集約的な産業であり、そこでは一人の優秀な人材が100人分の貢献をする」と考えれば、日本経済への打撃は非常に大きいでしょう。しかし一方で、日本が得意とするモノ作りにおいては、「一人の優秀な人は二人分しか貢献しないが、チームワークの良さは生産性を倍にする」ということであるとすれば、日本の強さは揺らがないかもしれません。
プロ野球が「高い技を競い合う」という面での魅力が減じても「地元意識」に乗じて産業として伸びていき得るとすれば、日本経済も知識集約産業で若干不利になったとしても得意のモノ作りで充分生きていけるということかもしれません。
スポーツの話に戻りましょう。世界一流のプレーヤーが日本に集まっているスポーツがありました。相撲です。
ファンの一人として、「国技で外国人に負けるなんて悔しい」などとケチなことを言うつもりはありません。質の高い取組みが見られるならば、それは結構なことだと思います。
一方、経済人としては、活躍している力士の出身国から応援団が来日したり、莫大な放映権料がもらえたりするわけではないのは残念なことですね。
「利益を生む野球は外国にとられ、利益のあがらない相撲は国内で栄える」という構図がビジネスの世界で実現しないことを願うばかりです。 |