| 塚崎と申します。1年前まで24年間にわたり、銀行に勤めていました。この24年間の銀行業界を一言で振り返ると、「こんな筈では無かった」ということになります。1981年に入行した時には、銀行に就職したということが誇らしく、その後もバブル期には世界を駆け巡るジャパンマネーに乗って巨大邦銀が一世を風靡していたものです。しかし、バブルが崩壊してからは、弱り目に祟り目といった状況が最近まで続きました。
まず、バブルの崩壊によって巨額の不良債権が発生しました。その後の長期不況によっても新たな不良債権が積み上がりました。ダブルパンチの結果として、すべての銀行が存亡の危機に立たされたと言っても過言ではないでしょう。過去の蓄えをすべて吐き出し、それでも足りずに公的資金を受け入れて合併をして厳しいリストラを行なって、文字通り「かろうじて生き残った」というわけです。あまり知られていないことですが、銀行員の給料も随分下がりました。銀行員といえば昔は高給の印象が強かったわけですが、最近では「大学の同窓会で年収を比べたら低い方だった」という話を頻繁に耳にします。
こうした実際の苦境にも増して辛かったのは、世論の銀行に対する風当たりの強さでした。銀行に非が無かったとは申しませんが、悪いことは全て銀行と大蔵省のせいであるといった世論には、正直なところ大いに疑問を感じました。しかし、世論というものの恐ろしいところで、そうした疑問を口に出すことすら許されないような雰囲気が最近まで続いていたわけです。
バブル期にはバブルを煽ったと言われました。銀行から貸し込みに行ったケースもあったようですが、借り入れ申し込みが先にあって、それに応じただけのケースが圧倒的に多かったのだと思います。後日不良債権が大量に発生したことから考えれば、借入の申し込みを断ればよかったのでしょうが、それとバブルを煽ったか否かは別の問題でしょう。
バブルが崩壊してからは、さらに厳しい批判にさらされました。バブルの崩壊によって借り手の状況が悪化すると、貸出を続けられない場合が出てきます。こうしたケースでも世論は「貸し渋りだ」と銀行に批判的でありました。評論家が銀行を批判するために挙げている借り手の実例の中には、「貴方の資金をその会社に貸し出す勇気がありますか」と聞きたくなるような例も多かったのですが、それを指摘する人はほとんどいませんでした。
反対に、貸し出しを行ったことが批判される例もありました。借り手の状態が悪化していて、銀行としては回収したいけれども、無理に回収すると借り手が倒産して何千人もの従業員が路頭に迷うことになるという場合、銀行はやむなく返済を待つことがあります。これに対しては、不良債権の処理を先送りしたという批判がなされました。バブルが崩壊した後に銀行が速やかに不良債権を処理していたら、考えられないような大不況が来ていたかもしれないのに、そうした可能性を指摘する人もほとんどいませんでした。
公的資金の導入に際しては、厳しいリストラを要求されて銀行員の懐が多いに痛みましたが、加えて銀行員の心も大きく傷つきました。私が入社した頃には銀行に入社したことが誇らしく感じられましたが、最近では飲み屋でも銀行員であることを隠す人が多いようです。国民の血税で助けていただいたのだからデカイ面をするなと言われればそれまでですが、国民の血税のお世話になった人々の中でも銀行員の萎縮振りは突出したものがあるように思います。
こうしてすっかり萎縮していた銀行ですが、最近ようやく少しずつ元気を取り戻しつつあります。何よりも景気回復を受けて不良債権問題が概ね克服されたことが大きいわけですが、これについて一言申し上げておきたいと思います。それは、構造改革が進んだから銀行が元気になったのではないということです。むしろ、小泉改革が緩んだから景気がよくなり、景気がよくなったおかげで借り手が借金を返せるようになったということであります。小泉首相が登場したときに使っていた「痛みに耐えて」というフレーズを覚えておられると思いますが、実際には財政赤字は大きく膨らみ、不振企業を淘汰する方針も再生させる方針に転換され、景気に優しい政策にソフトランディングしたということであります。 |