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景気の見方読み方
Apr.06

2006.4.1

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「小学校についての雑感」

はじめに> <習熟度別クラスの必要性
向上心を削ぐ公立小学校> <塾は本音の世界><受験こぼれ話


はじめに
  私事になりますが、愚息が小学校を卒業しましたので、感想を書き連ねてみたいと思います。愚息の小学校が「最近の公立小学校の平均的な姿」であるとは限りませんが、私が愚息の小学校を見て、「こんな教育をしていたら日本経済は中国や韓国に負けてしまう」という焦燥感を募らせたことを記しておこうというわけです
習熟度別クラスの必要性up
  公立小学校というと、学級崩壊という言葉が連想されますが、幸いなことに学校内の秩序には問題ありませんでした。この点は先生方の御尽力の賜物であるのか、あるいはそもそもマスコミの作り上げた学級崩壊のイメージが「騒ぎすぎ」であるのか、いずれにしても嬉しい誤算でありました。運動会も学芸会も生徒たちが真剣に取り組む姿が見られましたし、修学旅行も秩序ある実り多いものであったようです。しかし、勉強の面では問題山積でありました。

第一に、勉強に関する能力も意欲も全く異なる子供たちを同じクラスで勉強させることには無理があるということです。先生方が御苦労されておられることは良くわかりましたが、それにしても何とかならないのかという感想は抑えがたいものがありました。
結論は、習熟度別別クラス編成が絶対に必要だということです(部分的には行なわれているようですが)。クラスの平均に合わせて授業をすれば、出来る子は退屈ですし、出来ない子は理解できないままに進んでしまいます。「能力別クラスは出来る子と出来ない子のレッテルを貼ることで差別を助長する」という意見もあるかもしれませんが、「できる子にも出来ない子にも授業が拷問のように感じられる」という現状を打破することの方が皆にとってハッピーなように思われてなりません。
時代の流れという観点からも、習熟度別クラスが求められるところです。小泉改革は、競争原理に基づく優勝劣敗が日本経済を強くするという基本的な発想に立っていますから、「九九が出来ない大人は失業しろ」と言われる時代となりつつあります。そうであれば、子供のときに理解度の低いクラスにはいって少しくらい悔しい思いをしても、自分の理解度にあった授業を受けることで九九をしっかり身に付けておくことが必要なのではないでしょうか。

昨年秋に内閣府が学校制度について保護者にアンケートしたところ、70%が学力向上のためには学校より塾や予備校の方が優れていると感じているとのことでした。いろいろ理由はあるでしょうが、塾は習熟度別に授業を行なうからということも、大きな理由の一つなのではないでしょうか。

習熟度別に学習させるという場合、具体的にはどうすればよいのでしょうか。義務教育の目的が、「国民全員に九九を覚えさせる」ことだとすれば、「九九が出来ない子は居残りをさせてマスターさせ、九九が出来た子は登校しなくてよい」という考え方も可能かもしれません。しかし、学校の意義は社会生活のルールを教えることなど、九九以外にも多様ですから、こうした選択肢は採りにくいでしょう。
そうであれば、授業の時間を決め、その時間内で各自に習熟度に応じたクラスで習熟度に応じた学習をさせるということが必要でしょう。学習指導要領を何通りも作らなければならないという手間はかかるでしょうが、将来の日本を支える子供たちの教育にコストを惜しんではならないと思います。

向上心を削ぐ公立小学校
 

第二に学校の勉強に対する姿勢に疑問を感じました。愚息が低学年だった時には、学芸会で「人生そんなに頑張らないで、ゆったりのんびりいきましょう」といった歌を歌うのを聞いて愕然としました。高学年になると、担任が「塾など行かずに外で遊べ。一流大学を出た奴ほど悪いことをするのだから」と言うのが口癖で、露骨に塾や受験を批判していたようです。その話を聞いた時には、開いた口がふさがりませんでした。
愚息の小学校が例外的なのかと思ってもみましたが、そうではないようです。塾が親に配った願書の書き方の手引きによると、最近の小学校には中学受験というものに否定的な先生も多く、願書に添付する小学校作成の書類(調査書、内申書など)を出したがらない先生が多いので、丁寧に御願いして書いてもらう必要があるとのことでした。更に言えば、中学の方もそうした事情がわかっているらしく、小学校の先生に書類を作ってもらわなくても願書が出せるように配慮がなされている中学が多いことにも驚きました。
塾や受験を礼賛する必要は毛頭ありませんが、忌み嫌う必要もありません。塾には「学校で教えた知識を復習させてしっかり身に付けさせる」効果もあり、受験には「学校で教わったことを覚えているか」をチェックする機能もあるわけで、これを学校が頭から否定するというのはおかしな話でしょう。
ちなみに、愚息の小学校は、過半が受験をし、謝恩会で生徒が「私たちは夫々別々の中学に通うことになりますが、・・・」と挨拶をするような学校ですし、受験をしない生徒の中にも授業についていくための塾に通っていた生徒も多かったようなので、多くの生徒たちは親の方針と学校の方針の板ばさみにあっていたことになります。

塾は本音の世界up
 

公立小学校は、生徒の能力や意欲に差があることに目をつぶり、一律の授業を行なっている「建前の世界」です。これと対照的に、塾は「本音の世界」です。親に評価されないとゼニがもらえないということで真剣に親の需要を読み、それに沿おうとしていますし、親も子供の生涯所得を上げるためには良い教育を受けさせる必要があると考えて本音で行動しています。
塾では、勉強する子は褒められますから、皆が勉強するインセンティブを持ちます。能力別クラスなので各自が実力に見合った丁度良い授業が受けられます。勉強は辛いですが、「やればやっただけ褒められるし報われる」というわかり易い世界なので、つまらないストレスとは無縁な世界(勉強それ自体のストレスだけで充分に大きいですが)です。
先生もやりやすいと思います。親と生徒と先生が目的意識を共有していますから、目的に向かってまっしぐらに突き進むことが出来るというわけです。出来る子には中学受験の指導をし、出来ない子には学校の補習で落ちこぼれないように支えるということで、それぞれの目的が明確になっているわけです。

筆者は塾を礼賛しているわけではありません。「小泉内閣の構造改革として、公立小学校を民営化して塾にして下さい」などと言うつもりもありません。
しかし、塾と対比させることで、現在の公立小学校の問題点が浮き彫りになることは確かなことです。子供たちに勉強する環境とインセンティブを与え、各自のレベルに応じて一所懸命努力するように仕向けていくということが公立小学校でも方針として打ち出される必要はあるでしょう。(効率奨学校への変身?)。
理解度も向学心も全く異なる子供たちを一つの教室に詰め込んで、真ん中のレベルに合わせた授業をするという虚構にしがみついていては、将来の日本経済が中国経済や韓国経済に敗れ去るリスクが拡大していきます。
個々の受験生にとっては、同じ中学を受ける受験生がライバルかもしれません。受験しない小学生にとっては、ライバルなど存在しないのかもしれません。しかし、日本経済という観点で見れば、日本人小学生のライバルは中国や韓国の小学生たちです。受験生たちにとっては、「ライバルたちも小学校で退屈な授業を聞いてストレスを貯めているのだから同条件だ」と言えるかもしれませんが、それでは将来の日本経済にとって困るのです。能力や意欲が不十分な小学生にとっては、授業が理解できないままでも卒業させてくれる小学校は有難いところかもしれませんが、それもまた、将来の日本経済にとっては大変困ることに違いありません。


受験こぼれ話up
 

愚息も受験をしましたので、体験記を書いてもよいのですが、愚息は周囲の叱咤激励をものともせずにマイペースを貫いていましたので、後輩受験生のお役に立てるとも思われません。そこで、雑感を何点か記すことにしたいと思います。
真面目な話からすると、中学によっては知識の詰め込みをするのではなく、考えさせる問題を出すところが少なくないということです。社会では、時事問題を出す学校も多いので、ニュースにも興味を持っている必要があるでしょう。受験というと無味乾燥な年号の丸暗記といったイメージがありますが、必ずしもそうではないようです。
親にとって朗報は、サラリーマンとしての常識が役立つような時事問題が結構あり、受験生が親を見直す契機となる可能性があるということです。(もっとも、時事問題を出さない学校も多いので、子供の前で受験問題に挑戦してみる場合には、学校を慎重に選ぶ必要があることは言うまでもありません)。

チョッと驚いたのは、受験当日の朝に塾の先生が中学校の前で朝早くから受験生を励ましていたことです。受験生の役に立っているのかどうかは疑問であり、多分に付き添いの親に対するパフォーマンスなのでしょうが、受験日が他の学校とずれている中学では、何千人という受験生が何百人という塾の先生たちの間を通っていくことになるわけで、一見の価値がある風景と言えるのかも知れません。

自らの商才の無さを思い知らされたのは、私立高校の文化祭で「合格コーヒー」という喫茶店のメニューを見た時です。筆者親子が貢献したこともあり、当店は着実に売上を伸ばしていたようです。高校生であった頃の筆者達が文化祭で喫茶店をやった際には、女子高生を呼び込もうとして空しい努力を続けていたものですが、さすがに最近の若者は商機に目ざといということでしょうか。
合格グッヅといえば、いま一つ興味深かったのは、五角形の「合格鉛筆」です。これは市販されているものではなく、某所で頂戴したのですが、もしも特許がとっていないのであれば、どこかの鉛筆会社が大々的に売り出せば売れるのではないでしょうか。

 

今回は以上です。
 
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