企業が幹部候補生として大学卒業者を雇う場合、大学で学んだ知識それ自体にはほとんど期待していない。これは、企業がプラグマティックな存在だからである。
若干の誇張を伴いながら、学問の世界と企業社会の差について述べるとすれば、学問の世界では真実を追究することが尊いとされるが、企業社会では役に立つことが尊いとされる。学問の世界では説明できることが正しいとされるが、企業社会では現実が正しいとされるのである。たとえば経済学は「人々が合理的に行動するとすれば・・・」という前提にたった議論をするが、ビジネスの社会では「人々に衝動買いをさせるような店作りの工夫」などが重要となるのである。
また、各学部の主要な科目を見ても、一般のサラリーマンの役に立つ知識は得られそうにない。
法学部生は就職に有利だと言われているが、法学部で学ぶ主なものは「憲法、民法、刑法、商法、訴訟法、行政法、政治学」といったところであって、これらのうちで一般のサラリーマンが使う可能性があるのは民法と商法のごく一部にすぎない。
経済学部生も就職に有利であると言われるが、サラリーマンが経済学を知っていて役に立つこともほとんどない。マクロ経済学は政策立案にたずさわる一部の官僚には役立つかもしれないが、通常の民間企業には関係がうすいであろう。ミクロ経済学も、リンゴとミカンの消費量が限界代替率によってどう変化するかを知っていることが八百屋の役に立つとは思われない。役にたつかも知れないのは企業の生産量の決定方法くらいであろうが、これも実際に活用することは難しい。理論が「何個作った時には何円で何個売れるかがあらかじめわかっているとすれば」という前提で成り立っている一方で、実際の企業にはこうした情報があらかじめ与えられてはいないからである。
他の学部は推して知るべしであって、たとえば文学部で徒然草を学んでもサラリーマンに役立つとは思われないのである。
このように、大学で教えている知識があまり役立たないにもかかわらず、企業が幹部候補生を採用する場合には、大学卒業者を雇うのが通例である。それは、大学で学ぶことで学生が考える力を身につけているからである。たとえば経済学の「人々が合理的に行動するとすれば」という前提は非現実的であるとしても、その前提の下で理論的に精緻な議論を積み重ねていくことが、考える力を養うとすれば、そのこと自体が幹部候補生としての価値を高めていくからである。
このことは、「企業が大学にもっとも期待しているのは、学生に考える力をつけさせることだ」ということを意味している。学部や専攻は重要ではなく、いかなる学問でもかまわないが、教育の過程で大学が学生に考える訓練をさせることが期待されているのである。
企業から大学に要請するとすれば、題材は法律でも経済学でも日本文学でも西洋史でも、題材について学生が疑問を持ち、それに対する答えを自分なりに模索するような機会を出来るだけ多く与えていただきたい。また、論述式の試験やレポートで論理的な思考を文章上に書き表す訓練もさせていただきたい。
可能であれば、教科書に論じられているような常識的な議論のみならず、「あえて非常識な提案をして学生に反論を試みさせたうえで、模範的な反論の例を紹介する」「通常と異なった視点でものを考えることを強要する」といった講義によって、学生に「頭の体操」をさせていただけるとありがたい。たとえば法学部であれば「民法の○○条を以下のように変更すると、どういう問題が生じ得るか」、経済学でいえば「円相場が固定相場制に戻ると、どういう不都合が生じるか」、政治でいえば「あなたがアラブ世界の実力者だとしたら、どのような外交努力を展開するか」といった議論を行っていただければありがたい。
大学教育というと、「大教室での講義ノートの棒読み」が批判されることが多いが、本稿は必ずしも講義ノートの棒読みを非難するものではない。重要なのは講義ノートの中身であって、学生に考えながら聞くことを強要するような内容であれば、講義ノートが10年前の黄ばんだものであっても、教授がそれを棒読みしたとしても、非難される必要はないであろう。また、最低限必要な基礎知識を与えるに際しても、講義ノートの棒読みは許されるであろう。もっとも、知識の詰め込みは最低限必要なものに限るべきであり、無意味な詰め込みを避けるべきことは当然である。
今ひとつ避けるべきことは、教授による自説の押し付けである。教授の説の丸暗記や丸写しを強いることは避けなければならない。学説の対立のあるところは、両説をできるだけ公平に教えることで、学生にいずれかを選択させ、その理由を述べさせるように仕向けるべきである。教授が自説を説き、反対説を批判するのであれば、学生には反対説を擁護する論理を考えさせるといったことが望まれる。
考える力に比べると重要度は落ちるが、企業の幹部候補生は入社時点で経済や社会に興味を持っていることが望ましい。法学部や経済学部の学生が文学部などに比べて就職で有利なように見えるのは、経済や社会に興味を持つ学生が多いからであろう。しかし、他の学部であっても経済や社会に興味を持つことは充分可能である。たとえば心理学で「衝動買いの心理と売り手の戦略」といった課題はいくらでもあるはずである。
学生の興味の対象を大学が押し付けるわけには行かないであろうが、学生が経済や社会に興味を持つような契機を大学が与えていただけると有難い。たとえば、理論的な教科書のみならず、新聞を読むように学生を指導し、講義でも時事問題を採り上げるといったことが幅広く行われるようになれば、社会に興味を持つ学生が増えるのではなかろうか。 |