| はじめに
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先月から、知人が運営しているサイトに寄稿しはじめました(初回の題は「デフレは終わった」です)。このサイト同様、御愛読いただければ幸いです。
一方、このサイトには私の敬愛するエコノミスト仲間である佃佳志氏が寄稿してくれましたので、今回はこれを御紹介します。「選挙が近いので、子供たちと民主主義について話しをしていたら、その延長線上に都市と農村の問題がでてきたので、今回はこれについて考えてみた」とのことです。氏は変人ですが、それゆえに斬新な視点を提供してくれる場合が少なくありません。頭の体操をお楽しみいただければ幸いです。
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ごあいさつ
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お久しぶりです。佃です。
選挙が近いので、子供たちと民主主義について話しをしていましたが、その延長線上に都市と農村の問題がでてきました。
「クラスの特定の一人に毎日掃除当番をやらせるという議案は、多数決をすれば成立するよね。それって民主主義かな?」
「都会であつめた税金で田舎に道路を作るのは、都会の人に毎日掃除当番をやらせているのと同じことだと思うかい?」
「コメの輸入を自由化すると農家が困るけど他の人はみんな喜ぶよね。掃除当番の例とどこが違うんだろう?」
子供には難しすぎたようですが、大人にとってもじつはよくわからない問いであることに気づいたので、今回はこうした問題について考えてみました。
「政治の問題にはまったく弱いので、的外れなことを記すかもしれませんが、お許しください。
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公共投資 |
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公共投資の実態は「大都市で集めた税金(または大都市で集めた税金で返済することを前提に発行した国債)で地方に道路を作る」というものです。「大都市は豊かだから税金を払うのは当然だ」「代議士の数は地方の方が多いから道路は地方中心に作られる」ということなのでしょう。
「代議士は地方公務員ではなく国家公務員であるから地元の利益ではなく国益を考えるべきものだ」などと言ってみてもむなしいので、観点を変えてみましょう。大都市が税金を払っているのは金持ちが多いからですが、「金持ちから税金をとる」というのは「勉強のできる生徒は宿題が短時間で終わるのだから毎日掃除当番をやらせよう」という発想と似ていないでしょうか?
地方交付税も、大都市で集めた税金を地方に配る制度ですから、これも少数派である大都市が多数派である「大都市以外」による「数の暴力?」に泣いているということなのでしょうか?
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農業の保護 |
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経済学の教科書には自由貿易が人々を豊かにすると書いてありますが、多くの国で農業(農林水産業という広い意味で使いましょう)は保護されています。これは一見不思議なことです。多数派が「数の暴力」で少数派を押さえ込んでいるのではなく、少数派が多数派の犠牲のもとに保護を勝ち取っているからです。都市の住民が高い農産物を買わされているだけではありません。海外から「日本が農産物を輸入しないならば我々は日本の工業製品を輸入しない」と言われて自由貿易協定が結びにくくなっているのです。
農業が保護されている理由を推測すると、(1) 昔、農業が重要な産業であって農村の人口が多かった時代に選挙区の区割りが決められて、それがあまり変更されていないために、農業の利益を代弁する代議士の比率が農民の比率よりも高いこと、(2)農業保護の撤廃は農民にとっては死活問題なので農村選出の代議士は必死に抵抗するが、都会の有権者にとっては「自由化すればコメが少し安くなるだろうけれど、他に大事な問題がたくさんある」ので、都会では農業保護の撤廃は選挙の争点にならず、したがって都会選出の代議士も農業保護の撤廃には熱心ではないこと、などが思いつきます。
では、首相公選制になると、農業の自由化は進むのでしょうか?あるいは「重要法案は国民投票で決めよう」ということになれば農業の自由化は進むのでしょうか?こちらの方が民主的な方法なのでしょうか?そうだとすると、それは「正しい」ことなのでしょうか?
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流れの変化 |
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どちらかといえば都市住民の方が教育水準が高く、民主主義のもとで自らに都合がよい政策を政府に採用させる工夫ができると思われるのに、そうなっていないのは不思議なことです。自らが少数派に属している公共投資や地方交付税の問題において損をしているだけでなく、自らが多数派に属している農業問題においてさえも犠牲を強いられているというのは、興味深いことですし、民主主義というものの奥深さ(不可解さ?)を感じます。
もっとも、世の中の流れは、こうした状況を変化させる方向に動き始めているように見えます。公共投資は「無駄が多い」ということですっかり評判を落とし、小泉内閣は公共投資を減らす方向で努力しています。地方交付税も縮小して地方自治体が自分で税金を集めるような制度に変わっていく方向です。このことは、「大都市は税金が集まるから地方自治体が豊かで、農村地帯は税金が集まりにくいため地方自治体が活動資金不足に悩む」ということに通じていくでしょう。小泉内閣の掲げる「地方の自立」ということが、「各自治体は、自分の収入を自由に支出できる」=「収入の範囲でしか支出できない」という意味であるならば、収入の少ない農村地帯の自治体にとって有難い方向とは言えないかもしれません。
農業の保護も、次第に縮小していくかもしれません。海外からの圧力もありますし、「農業保護のために自由貿易協定が結べなくて、大きな損失を被った人」などが増えてくれば、そうした人が積極的に農業保護の撤廃に動き始めるかもしれないからです。
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都市党構想 |
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では、こうした流れを受けて、仮に各政党の都市出身議員が離党して「都市党」を作ったら何がおきるのでしょうか?
55年体制が崩壊してからは、一部を除いて各党のイデオロギーの対立点が今ひとつ明確でないようですから、思い切って新しい対立軸で政党を再編したらわかりやすくなると思いますが、いかがでしょう?現実問題としても、派閥の機能が低下しているようですから、地方出身議員と都市出身議員が同じ政党に属している必要性は薄れつつあるのではないでしょうか?
「農村のために都市が犠牲になるのは御免だ」という主張は、戦略さえ誤らなければ代議士の過半数を確保できるように思いますが、いかがでしょう?
国民の過半数の利益を代表する政党が政権をとることになれば、民主主義という観点からは望ましいことだと言えるのでしょうが、それが日本全体にプラスか否かという点に関しては、判断のわかれるところかもしれません。農業保護をはずせば、日本の農業は大打撃を受けるでしょう。そうなれば、農村地域の税収が減ることと「各自治体は、自分の収入の範囲でしか支出できない」ということのダブルパンチで、地方経済は疲弊していく可能性が高まるでしょう。
ただでさえ、農村地帯は高度成長期に若者が大量に流出した影響で高齢化しており、今後は農村人口が急速に減少していくと予想されるときに、農村が疲弊していくとすれば、残っている数少ない若者も流出してしまい、過疎の問題が深刻化するでしょう。そうなれば、食料自給率が下がって食料安全保障の問題が深刻化するのみならず、国土の保全という観点からも深刻な問題が生じかねません。
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地方の逆襲? |
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都市党の出現によって農村が疲弊することが避けられないとすれば、理屈の上では地方が独立国となり、為替レートを切り下げるという奥の手があります。たとえば首都圏以外の地域が独立して「地方国」となり、「地方円」という通貨を作り、「1円は2地方円である」と定めれば、首都圏の企業は競争力を失い、地方国に工場や事務所を移転させるでしょう。首都圏は失業者があふれ、人口は地方に流出し、過密過疎の問題も国土の荒廃の問題も一気に解決するかもしれません。
このアイデアを「現実的ではない」と一蹴する読者も多いでしょうが、具体的にどういう障害があるのでしょうか?たとえば北海道が独立して通貨を切り下げれば産業が発展するとわかっていながら、なぜ北海道は独立しないのでしょうか?
これ以上すすむと、「通貨統合が流行っているときに、なぜ通貨を分けるのか」といった通貨の話になってしまいますので、今回はここまでにしておきましょう。
さて、地方が独立することまで考える必要があるかどうかわかりませんが、日本経済にとって都市と農村の問題は避けて通れない問題だといえるでしょう。今次総選挙の争点とはなっていないようですが、いつかの時点で一度国民的な議論をしてみる必要があるのかもしれませんね。
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佃氏からの寄稿は以上です。なお、上記は佃氏個人の見解であり、氏の属する組織などの見解を示すものではありません。また、読者に投資などを勧誘するものでもありません。念のため。Nov.2003記)
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P.S. 先月の原稿に対して読者からメイルを頂戴しました。趣旨の一つは「中国が人民元を割安に維持していることは不公正であって、勤勉に働いている我々が中国との競争に負けたからといって我々の努力不足のせいにされるのはたまらない」ということです。しかし、先月記したように、人民元が割安であると断定することはできないでしょう。
また、人民元が対ドルで固定されていること自体も非難するわけにいかないでしょう。固定相場制というのは1960年代までは世界の常識でしたし、今でもドルやユーロに為替を固定している国は数多くあります。見方によってはユーロ参加国は自国通貨を永遠にドイツマルクにペッグ(固定)しているとも言えるわけです。したがって、固定相場制は、米国流の「何でも市場にまかせるべきだ」という考え方とは合わないかもしれませんが、「だから不公正だ」と言うことはできないように思います。
メイルの今ひとつの趣旨は、先月の原稿の中で「日本の若者が勤勉さに欠けている」と記したことに対し「私も周囲の若者も勤勉です」ということでした。もちろん、勤勉な若者も大勢いることは当然で、メイルの主もきっとそのひとりなのだと思います。しかし、日本人の平均的な若者が国際的にみて勤勉なほうだとは、筆者にはどうしても思えないのです。
単純化して言えば、勤勉ではない国民が豊かに暮らすことはできません。日本人が国際的にみて豊かな暮らしをしているのは、過去の日本人が勤勉であったためであって、今後日本人の勤勉さが薄れていくとすれば、日本人は国際的に見て高い生活水準を享受し続けることはできなくなってしまうでしょう。
以上です。 |