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1990年8月にイラクがクェートに侵攻(湾岸危機)してから約半年後、米国を中心と する多国籍軍がイラクに侵攻しました(湾岸戦争)。ハイテク兵器を駆使した多国籍軍が戦局を圧倒し、短期間で戦争は終結しました。
原油価格はイラクのクェート侵攻を受けて急騰しましたが、その後徐々に低下し、湾岸戦争の勃発とともに急落し、湾岸危機前の水準に戻りました。多くのイスラム産油国がイラクを非難する側にまわったこと、開戦当初から多国籍軍の圧倒的な優位が伝えられたこと、などが原油価格の安定に寄与したわけです。
この間の出来事が景気に悪影響を与えたことは間違いありません。原油価格の高騰にともなってインフレ懸念から金融政策がタイト気味に運営されたこと、消費者マインドや企業家マインドが悪化して経済活動が停滞したこと、などが一時的にせよ景気を
圧迫したからです。景気というものは、一度悪化するとスパイラル的に悪化(消費減 →生産減→雇用減→所得減→消費減など)する傾向があるため、湾岸戦争が終了した後も後遺症として景気の下押し効果が残ったということはあるでしょう。
しかし、「原油価格の高騰が一時的なものにとどまったにもかかわらず、世界経済が 不況からなかなか回復しなかった」のは、「当然の成り行き」ではありませんでした。むしろ、各国それぞれに事情を抱えていたから不冴えな展開になったのだと言えるでしょう。
しかし、「原油価格の高騰が一時的なものにとどまったにもかかわらず、世界経済が不況からなかなか回復しなかった」のは、「当然の成り行き」ではありませんでした。むしろ、各国それぞれに事情を抱えていたから不冴えな展開になったのだと言えるでしょう。
米国経済は、湾岸危機前から減速傾向にあり、しかもインフレ懸念から金融政策は引締め気味に運営されていました。こうした状況下で湾岸危機が発生したため、消費者マインドや企業家マインドが大幅に悪化した一方で、金融政策は原油価格高騰に伴うインフレ懸念からタイト気味に運営せざるを得なかったわけです。財政政策も、当時は財政赤字の削減が大きな政策目標となっていましたから、景気刺激のために発動することは容易ではなかったわけです。
金融政策は、原油価格の落ち着きとともに徐々に緩和されていきましたが、もともと減速傾向にあった景気が短期的とはいえ大きく下押しされたことから、景気悪化のスパイラルが働き、景気は不冴えな状況が続くことになりました。
ドイツ経済は、さらに特殊な事情を抱えていました。湾岸危機の最中に東西ドイツが統一されたからです。統一ブームによる景気の過熱やインフレが心配されたため、もともとインフレ抑制に極端な熱意を燃やすドイツ連銀が金融引締めを行ないました。
金融引締めの効果が出てきたころに統一ブームが一巡したこともあり、景気は湾岸戦争終結後に一層悪くなっていきました。
ドイツが金融を引締めたため、フランスなどは、意図せざる引き締めを強いられました。お互いの為替レートを固定する協定が結ばれていたため、「ドイツと異なる金融政策を採用することでドイツマルクと自国通貨との交換レートが動く」ことを回避する必要があったからです。こうして多くの欧州諸国が不況に陥っていったというわけです。
日本にも、バブルの崩壊という特殊事情がありました。湾岸危機当時、株価はすでに下落をはじめていましたが、地価バブルを潰すための金融引締めが行なわれていました。バブルを潰すことが目的だったわけですから、湾岸危機があってもなくても日本の景気は悪化していたはずであって、「湾岸危機があったから景気が悪化した」とは言えないでしょう。
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