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景気の見方読み方
Sept.02

2002.9.02

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日本の将来を案ず

はじめに
 

 私の敬愛するエコノミストである佃氏が、夏休みにローマ帝国の遺跡を見て日本の行く末を案じ、寄稿してくれましたので、ご紹介します。暗い話ですが、「そんなはずはない。どこか間違っているはずだ」と考えながらお読みいただければ幸いです。

欧州を旅してup
 

 佃です。久しぶりに寄稿させてもらいました。就職して以来、はじめて二週間休暇をとり、ヨーロッパ旅行へ行ってきたのですが、旅行中ついつい日本の将来が気になってしまい、帰国後に筆をとったというわけです。

第一に、欧州人は日本人よりもずっと働かないし仕事の態度もいいかげんなのに、欧州諸国より日本の方が国債の格付けも低く、経済的にも低い評価しか受けていないということに、大変口惜しい思いをしました。10年前ならば、彼等が1ヶ月以上のバカンスを採ると聞いてもホテルの従業員のミスが多くても「だから欧州経済はダメなんだ」と言っていれば気にならなかったものが、今回は「どうしてこんな国に負けるんだ」という悔しさが加わって大変不機嫌な気分を味わったというわけです。

 第二に、ローマ帝国の興亡について考えると、なぜか日本と重なる部分が多いように思えたのです。ローマ帝国は、周辺に強国が現われて滅ぼされたのではなく、自らが弱体化して崩壊していったわけですが、それは豊かになったローマ人が真面目に働くことをやめてしまったことが原因であるとすると、豊かな時代に生まれ育った現在の日本の若者が日本の国を衰退させてしまうかもしれないと考えたわけです。

 第三は、日本の国益とは何かということを海外を旅しながら改めて考え直してみたのです。日本では国益がまともに議論されることは多くありません。タブーが多すぎて生産的な議論が行なわれにくいということもあるでしょうし、国際社会で国益を追求するということ自体を快く思わない人たちも多いように思います。外務省バッシングが盛んですが、真の問題は、「外務省が追及すべき国益というものが定義されていない」という、もっと高次元のところにあるわけです。今までは全く幸運にも東西冷戦下で米国の傘の下にいたために国益を論じる必要が小さかったのかもしれませんが、冷戦後の世界で国益を追求しない国が繁栄していけるのか、はなはだ心もとないと言えましょう。

短期の需要不足up
 

 現在の日本経済が抱える短期的な問題は、需要不足です。短期といってもバブル崩壊後10年以上も需要不足に悩んでいますし、今後も10年くらいは基本的な需要不足が続くでしょう。こうした「構造不況」の原因については、バブルの後遺症だとか不良債権問題があるからとか構造改革を先延ばししてきたからだとか、いろいろなことが言われていますが、真の原因はもっと根の深いところにあるのではないでしょうか。

 たとえば不良債権問題は「放置しても問題が深刻化するかもしれないが、短期間で解決を図ろうとすると大不況を招くリスクもある」というやっかいなものですが、これがやっかいな問題なのも、日本が基本的に需要不足の国だからではないでしょうか。「債務超過の企業を潰して労働力を成長産業に移動させよう」ということが出来ないのは、日本が供給力不足の国ではなくて需要不足の国だからではないでしょうか。もしも日本にもっと需要があれば、景気がよくなり、給料も増えて皆が豊かになるでしょうし、税収が増えて財政赤字も消えるでしょう。地価も上がって銀行の不良債権が予想以上に回収できるかもしれません。そうなれば、債務超過の企業をどんどん整理しても失業問題が深刻化せず、かえって成長産業に労働力が移動することになるでしょう。

 日本に需要が不足している根本的な原因は、「日本人が勤勉で倹約家だから」ということでしょう。日本人が古来美徳と考えてきた勤勉と質素倹約が日本の構造不況の真因であったというのは何とも皮肉ですが、どうやら事実のようです。日本人がもっと「浪費」をするようになれば、需要が増えて、現在日本が抱えている問題が一気に解決してしまうでしょう。そうならないのは、現在の日本経済の中心的な担い手が勤勉と倹約の精神を刷り込まれた世代だからではないでしょうか

 貧しい国にとっては勤勉と倹約は重要です。江戸時代の日本は農業国でしたから、勤勉でないと充分なコメが取れず、倹約しないと種もみを食べてしまって翌年困ることになったでしょう。戦後の高度成長期は道路や橋や工場を建てるために鉄やセメントが必要でしたから、国民が倹約して鉄やセメントをインフラ整備に優先的に用いることが必要だったわけです。しかし、国が豊かになると、必要な道路や橋が一応出来てしまうため、国民が倹約した分だけモノが余るということになり、モノが余れば企業が生産を減らして失業が増えるのです。これは一種の「合成の誤謬」だと言えるでしょう。

  こうして、日本が貧しかった時代に正しいと教えられてきたことが今となっては正しくなくなってしまったわけですが、子供の頃から刷り込まれた美徳観念はそう簡単に消えるものではありません。したがって、需要不足による不況はまだまだ続くと考えておくべきでしょう。もちろん景気の波はあるでしょうが、基本的には低空飛行が続くと考えておいた方がよさそうです。

 これだけでも充分暗い話と言えるかもしれません。しかし、これは日本の衰退という本当に暗い話に比べれば、まだ気が休まる話だと言えるでしょう。本当に深刻なのは、長期的にみて日本がすでにピークアウトしてしまったのではないかという懸念なのです。

長期的な衰退?up
 

 長期的にみて日本の衰退をもたらすものは、需要不足ではなく、供給力の衰えでしょう。日本経済は、運悪く、三つの衰退要因を同時に抱えているため、これを克服することは容易ではないように思われます。これらがいずれも日本経済が豊かになったことの結果であるということが、ますます気を滅入らせる要因と言えましょう。

 最大の要因は、将来の日本を担う若者世代における勤勉という美徳の喪失です。上に述べたことと矛盾するようですが、要するに「過ぎたるは及ばざるが如し」ということです。真面目すぎるのは良くないことでしょうが、不真面目すぎるのは更に悪いことだと言えるでしょう。国民が怠惰である国が長期的に栄えるはずがありません。豊かになってから生まれ育った若者たちに勤勉の重要性を説いても受け入れてもらえないのかもしれませんが、これは国家の将来という観点からは大いに懸念される事態です。「勤勉と節約」が問題だということで「勤勉と贅沢」になってくれればよいものを、「怠惰」になってしまっているわけです。国家がこれを「ゆとり教育」などといって追認・促進しているのですから、何とも不思議な話です。(節約については、若い世代も比較的守っているかもしれません。「何時でも買える」と思っているのか、「見栄とか隣人との比較とかで身の丈以上のものを買いたがることがない」のか、若者たちも意外と質素なのかもしれませんね)。

 30年後を考えると、比較的おカネを持っている老人たちが倹約に励んでおカネを使わない一方で、働き盛りの世代が勤勉の精神を忘れているということで、需要と供給が両方とも縮んでいくということになりかねません。需給の均衡という意味では大きな不均衡は起きないかもしれませんが、とても健全な経済の姿とは呼べないでしょう。。

 衰退の第二の要因は、既得権の拡大です。経済が豊かになるほど「本当は望ましくないけれど、まあ固いことを言わずに認めてやろう」という余裕が出てくるため、既得権が排除されにくくなり、次第に拡大していきます。長年かけて川底にたまったヘドロのように、大洪水でも来ない限りは蓄積を続けていくわけです。革命や敗戦、大恐慌といった事態が起きれば別ですが、そうでもない限り、既得権が一掃されることは難しいでしょう。小泉改革がどの程度実行されるかわかりませんが、いずれにしても小泉改革だけですべての既得権が排除されるわけではありません。農産物保護といった問題は手付かずですし、民間企業の従業員が有する終身雇用制、年功序列賃金制といった既得権も、どこまで本当に崩れるのかわかりません。組織というものは、「作られた時には目的をもっているが、時間が経つにつれて組織構成員の共同体と化し、組織構成員の幸福が目的化してしまいがち」なものだからです。よほど強靭なハングリー精神を持って改革を推し進めない限り既得権は消えていかないのですが、豊かさの中でハングリー精神を失いつつある日本人が本格的な改革に取組んでいくとは考えにくいでしょう。

 衰退の第三の要因は、少子高齢化です。豊かになり栄養状態も医療水準も上がったために日本人が長生きをするようになりました。これ自体はよいことなのですが、マクロ経済的には問題もないわけではありません。少子化の方も、日本が豊かになったことが一因となっているようです。私は不勉強で理由がよくわからないのですが、先進国ほど子供が少ないというのが一般的な傾向のようです。

  理由はともかくとして、このまま少子高齢化が進むとすると、今後数十年にわたり、日本は引退した多数の老人を少数の現役世代が支えるという歪んだ人口構成に悩み続けるでしょう。これが巨額の財政赤字やISバランスの悪化などを通じて日本経済の活力を削いでいくことも疑いないでしょう。もっとも、ワーカホリック世代は、「使う人が多くて作る人が少ないなら、俺達老人が働く口があるということだ」と言って嬉々として働き続けるのかもしれませんが。

中国脅威論についてup
 

 最近の中国の目覚しい発展を目の当たりにして、中国脅威論が高まりつつあります。世の中で言われている中国脅威論は必ずしも的を得ていないのかもしれません。。

 中国が発展して安い製品を世界中に供給しています。これにより日本の繊維産業をはじめ、打撃を被っている分野が多いことは事実です。もっとも、悲観論の陰に隠れて目立ちませんが、現状ではメリットを受けている分野も少なくありません。日本製品の方が(価格は高いものの)品質が優れているため、中国が発展すると工場の機械設備も心臓部の部品も日本からの輸出が増えるからです。中国人が豊かになれば、中国製の自動車から日本製の自動車に需要が移ってくるかもしれません。したがって、「日本製品が中国製品よりも品質が優れている」という状態がつづく限り、中国の脅威はそれほど感じる必要が無いということになります。

 問題は、日本人が努力を怠っている間に中国人が努力をし、中国のレベルが日本に追いつく場合です。この場合には日本製品は中国製品と同じ値段でなくては売れず、したがって日本人の給料は中国人の給料と同じところまで下がらざるを得ないでしょう。

追ってくる強国が近くになかったローマ帝国と比べれば、日本は中国に追われているだけ危ういと言えるでしょうが、それとて、中国と同じ速さで走っていれば差が消えてしまうことはないわけで、追いつかれるとすれば、後ろの人が走っていたことが問題だというよりも、やはり自分が精一杯走らなかったということの方に問題があるというべきではないでしょうか。

援助についてup
 

  最後に、国益という問題にも触れておきましょう。国益といっても範囲が広いですが、ここでは一例として援助の問題を考えてみましょう。日本は財政赤字なのに何故外国に援助をしているのでしょう?援助をやめてその分を国内の低所得者に分配しては如何でしょう?そうしないのは何故でしょう?まさか一部政治家の利権のためではないでしょう。では、博愛の精神でしょうか?国益のためでしょうか?

  博愛の精神であれば、一人あたりGDPの低い国から順番に資金を贈与すべきでしょう。国連での親日的な投票行動を期待しているのであれば、経済規模の小さい国に援助資金をばら撒いて多くの国に恩を売る方が一部の国に資金を集中的に援助するよりも効果があるでしょう。経済規模の小さな国は少額の援助でも感謝してくれるでしょうし、彼らも大国と同じ一票を持っているからです。友情の証として援助を行うのであれば、親日的な国に重点的に援助を行うべきでしょう。ほかにも考えられる理由はありますが、それぞれについて望ましい援助先の選定基準は定められるはずでしょう。

 では、実際の日本の援助はどのように行われているのでしょうか?どのように行われるべきなのでしょうか?こうした議論がもっと行われてもよいように思いますが、如何でしょうか?

     
  以上です。なお、上記は佃氏個人の見解であり、氏の属する組織などの見解を示すものではありません。また、読者に投資などを勧誘するものでもありません。念のため。(Sept.2002記)
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