| 今回は、米国経済について、ある雑誌に寄稿したので、ご紹介します。寄稿の締切が6月15日、雑誌発行が7月1日なのですが、その間に米国市場が大きく動いたので焦りました。この手の仕事の宿命ですね。 |
| 要旨
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- 九十年代の活況にもかかわらず、米国経済は「山高ければ谷深し」とはならずにソフトランディングした。
- グリーンスパン議長の巧みな金融政策によるところが大きいが、その背景には、日本と異なり金融緩和の効果が大きいという米国経済の特徴がある。
- ソフトランディングが米国経済の「構造問題」を「先送り」してしまった点を見逃してはならない。
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はじめに
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九十年代後半に米国経済が大変な活況を示していたとき、米国内では「IT革命で米国経済の好況と繁栄は永続する」という「ニューエコノミー論」が華やかであった一方で、日本国内ではこれを八十年代後半の日本と重ねあわせて「バブルはいずれ崩壊する。山が高い分だけ谷も深いだろう」と考える人も多かった。結果としては、米国経済の好況が持続することはなかったが、山が高かったわりには谷が浅いものにとどまったわけで、両者の中間的なところに落ち着いたと言えるであろう。
本稿では、この間の経緯を振り返るとともに、「谷が浅かったが故に、バブル期に蓄積された歪みが温存されてしまった」という問題について考えてみたい。 |
谷が浅かった米国経済
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米国経済は、二千年三月に株価がピークをつけて以降、緩やかな減速過程をたどったが、深刻な不況に陥ることなく、今春から回復過程にはいっている。景気が減速から後退する過程においても個人部門(個人消費と住宅投資)は底堅く推移しており、「個人部門が底堅く推移している間に企業部門(設備投資、企業収益、生産活動など)が回復してくるか否か」が焦点であったが、ここに来て生産がプラスに転じ、企業家のコンフィデンスも改善しつつあり、設備投資も先行指標に下げ止まりを示唆するものが出てきている。今後も一本調子で回復を続けるか否かは慎重に見ていく必要がある(後述)ものの、バブル崩壊(と呼ぶのでなければ「大変な好景気の反動」)の影響を無難に乗り切ったことは間違いないであろう。
景気後退が軽微にとどまった最大の理由は「個人消費と住宅投資が底堅さを維持したこと」である。これにより最終需要の落ち込みが軽微にとどまり、生産調整がほとんどそのまま在庫の圧縮に貢献し、在庫調整が短期間で終了したことの貢献が大きいと言えよう。通常であれば「景気減速に伴って雇用情勢と消費者コンフィデンスが悪化し、これが消費などを圧迫するため、生産調整を行なっても在庫がなかなか減らない」はずであるが、今回はそうならなかったわけである。
個人消費などが底堅く推移した理由としては、「資産価格の高止まり」と「家計所得の高止まり」が挙げられよう。株価は企業収益の悪化にもかかわらず連銀の大幅な金融緩和によって下支えされており、住宅価格は住宅ローン金利の低下などを背景としてむしろ上昇基調を続けている。こうしたことが景況感の下支えに貢献し、資産効果ももたらしたのである。
家計所得が減ったわけではないということも、消費などを下支えた重要な要因であろう。企業収益が大幅に低下する中にあっても、賃金は上昇を続け、雇用者数の減少を補ったため、家計所得が高水準を維持していたわけである。
日本のバブル崩壊後と全く異なる推移をたどった理由としては、@バブルの規模が日本よりも小さかったこと(株価はともかく、不動産価格の上昇率は日本よりはるかにマイルドであった)、A米国の消費者が日本人よりも消費好きであること(バブル崩壊後も貯蓄性向が歴史的な低水準を維持するほどの消費を続けた)、Bバブルがピークをつけた後、日本が金融引締めを続けた一方で米国が金融緩和に転じたこと、などが挙げられよう。しかし、より本質的な相違は、「米国では金融緩和が大きな景気浮揚効果を持っている」ということではなかろうか。
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需要超過構造の米国経済
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米国では、景気対策の主役は金融政策であり、景気対策として財政を論じることは多くない。今次局面においては、景気対策として減税の前倒しも行なわれてはいるが、景気対策の柱はやはり金融政策であったと言えよう。グリーンスパン議長の絶妙な金融調節が景気後退局面においても輝いていたわけである。
日本では、「金融政策はゴムひものようなもので、引っ張る時の効果(金融引締めによる景気抑制効果)は大きいが、押す時の効果(金融緩和による景気浮揚効果)は限られる」と言われているが、米国ではそうした議論はあまり聞かれない。この差が何故生じているのか、大変悩ましい問題であるが、筆者なりの仮説をご紹介したい。
筆者は、「米国経済は需要超過、日本経済は供給超過の経済であることが、こうした差をもたらしている」と考えている。米国経済は本質的に需要超過であり、金融政策には日本的な意味での「緩和」はなく、「強い引締め」と「弱い引締め」だけが存在するということである。景気が悪い時には引締め方を弱めてやれば、景気の自律回復力が働いて米国経済の本来の姿である需要超過状態に戻るわけであるから、わざわざ景気浮揚のために金融を「緩和」する必要はないのである。一方で日本経済は供給超過(=需要不足)の経済であるため、景気の自律回復力には多くを期待できず、積極的に景気を浮揚するための「緩和」が必要となるわけである(もっとも、時によっては引締めが必要となる場合もあると思われるが)。
喩えていえば、米国経済は上昇力の強い風船であり、これを適度な高度に保つために、通常は風船の紐をしっかりと握っているが、強く引きすぎてしまって風船の高さが低くなりすぎてしまった場合には引く力を弱めればよいといったイメージであろう。一方で日本経済は上昇力の弱い風船であるから、風船を引っ張るゴムひもだけではなく、下から風を送る扇風機(公共投資などの財政政策)の出番が多くなりがちだといったイメージであろうか。
何故こうした相違が生じるのか、不思議な面もあるが、筆者は、国民性の違いに起因するものと考えている。たとえば、米国の消費が好調であった理由の一つとして「住宅価格が上昇したことにより、所有している住宅の担保価値があがったわけであるが、少なからぬ米国人がこれを利用して銀行借入れを増額し、これを消費に充てたからだ」という説明がなされる場合がある。こうした説明を聞くにつけ、彼我の国民性の違いを再確認せざるを得ないであろう。
語弊があるかもしれないが、「キリギリスは一人だけ浪費していれば貯蓄を使い果たして困るだろうが、皆が浪費していれば景気がよくなって誰も困らない」といった「合成の誤謬(ごびゅう)」が米国で生じている一方で、「アリは一人だけ倹約していれば貯蓄がたまって豊かになれるが、皆が倹約すると不況になって皆が貧しくなる」という「合成の誤謬」が日本で生じているといったイメージであろう。
だとすると、そもそも日本経済と米国経済を同じ尺度で測り、同じ発想で理解しようとすること自体が難しいということになるのかもしれない。
一般に、日本経済を見ているエコノミストは景気予測に際して需要面を重視し、生産性といった供給面への関心は相対的に低いが、米国経済を見ているエコノミストは供給面も重視するという傾向がある。米国で一時盛んであった「ニューエコノミー論」は、「米国の生産性が伸びるから米国経済の好況が続く」というものであったが、日本経済に関してはこうした発想をする人は稀である。「好況が続くか否かは需要の状況で決まるものであり、生産性が景気を決めるわけではない」と考えるからである。こうした違いも、「キリギリスの経済」と「アリの経済」を見る視点の差で説明できるのではなかろうか。
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先送りされた「構造問題」
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長期的な視点で米国経済を見ると、少なくとも3つの大きな「構造問題」が横たわっている。@高すぎる株価、A低すぎる個人貯蓄率、B経常収支の大幅赤字、の三つである。
こうした問題を重要視しない楽観論もあるだろう。「現在の企業収益と金利の関係を考えれば、現在の株価は必ずしも不自然な水準にはない」「過去の株価上昇で米国の家計金融資産残高は急激に増加しており、今月の給料を全部使ってしまったからと言って不健全だとは言えない」「米国経済の強さが海外からの投資を惹き付けており、経常収支赤字のファイナンスには問題がない」「したがって、米国経済の現状は均衡状態にあり、現状が維持されていくにちがいない」という見方も一応は成り立つからである。
もっとも、こうした楽観論には大きな問題がある。第一に、こうした均衡は不安定であると言うこと、第二にこうした均衡は一時的なものであって永続できるものではないということである。
均衡している状態というのは、さまざまな力が働いている結果として現状が維持されるということで、ボールが止まっている状態に喩えることができるだろう。止まっているボールには、何らかの力を加えないかぎり動き出すことはないから、「均衡しているのだから、このままの状態が続く」と考えること自体は不自然ではない。しかし、注意が必要なのは、ボールが止まっている状態には二通りあるということである。第一は、谷底で止まっている場合、第二は山頂で止まっている場合である。谷底で止まっている場合には、状態が安定していて、多少の力が加わっても元に戻るが、山頂で静止しているボールは不安定で、少しでも力が加わってひとたび動き出してしまうと、元に戻る力が働かず、加速度的に谷底に向けて転がっていくであろう。
米国経済について見ると、「高い株価、活発な消費、高水準の経常収支赤字」という三点セットは山頂のボール、「低い株価、堅実な貯蓄、経常収支の均衡」といった三点セットは谷底のボールといったイメージではなかろうか。何らかの事情で景気が悪化したり株価が下がったりした時には、景気悪化→株価下落→景気悪化→海外資金の逃避→一層の株価下落といったスパイラルに見舞われかねないからである。今次局面ではグリーンスパン議長の絶妙な金融政策もあってボールが山の上に踏みとどまったものの、次回の景気後退時にも適切な対策が採られる保障はないことを考えると、状態が不安定であることは間違いないと言えよう。
また、現在の均衡が一時的なものであって、永続できるものではないという点にも留意が必要であろう。経済規模が拡大しているのに家計の貯蓄残高は一向に増加せず、一方で対外純資産のマイナス幅が着実にかつ急激に拡大しているという現状は、山が少しずつ高くなり、山頂が尖ってきているといったイメージではなかろうか。
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現状の「均衡」は永続不可能
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株価(および不動産価格)は、現状程度の景気と金利を前提とすれば、大きくは崩れないかもしれないが、今後更なる上昇を続けていくと考える理由も乏しいであろう。資産価格の上昇が止まれば、消費の資産効果(株価などの上昇で気が大きくなって消費をする、借金を増やして消費をする、という効果)は続かないであろうし、少なくとも「今まで以上に貯蓄率を下げることで消費を増やす」といったことは出来にくくなっていくと思われる。
こうした中で、人口動態的に米国の貯蓄率が上昇していく力が働きつつあることには留意が必要である。レーガノミクスによる双子の赤字が問題とされていたころ、楽観論者は「現在の米国ではベビーブーマーが消費する年代なので貯蓄率が低いが、10年もすれば彼らが貯蓄に励む年代になるので、マクロ的な貯蓄率は上昇していくだろう。だから現在の貯蓄投資バランスの悪化は一時的なもので心配いらないのだ」と主張していた。これに従えば、現在は当時よりも貯蓄率が上がっているはずであるし、今後もしばらくは人口動態の変化が貯蓄率を押し上げる圧力として働きつづけるはずなのである。こうした底流の流れに逆らって貯蓄率が低水準を維持する(または一層低下していく)と考える特段の根拠は見当たらず、貯蓄率は早晩上昇していかざるをえないであろう。
更に問題なのは経常収支赤字であろう。成熟した先進国が大幅な経常収支赤字を永遠に続けていくことは不可能であり、累積経常収支赤字(または対外純債務)が雪だるま式に増加していく現状は、いつかは持続不可能となるであろう。米国には基軸通貨国の特権(外国投資家の資金流入が止まったとしても、ドル安を懸念した外国政府が為替介入を行なって外貨準備という在米資産を積み増すことになるため、結果としては外国資金が米国への流入を続けるというメカニズム)があるので、短期的に問題が表面化するとは限らないが、理屈で考えるかぎり、長期的には基軸通貨の信認が低下していくことで、サステナブルではなくなっていくはずであろう。
「新興諸国は外からの投資資金を受け入れて発展していけばよいので、ある程度の経常収支赤字は許される。一方で、老大国は、過去の蓄積を新興諸国に投資して、その果実で食べていけばよい」という区分けに従うと、米国は新興諸国的な生き方をしているということになるが、池の中の鯨のような「新興国」がいつまでも暴れまわっていることが可能とは思われまい。
米国経済の抱える構造問題が、深刻な調整を経ずに解決されていく道筋もないわけではない。楽観論者の思い描くパスとは相当異なったものであるが、「個人の貯蓄率が緩やかに上昇していき、これに伴って内需が伸び悩む一方で、緩やかなドル安が進み、外需がプラスの寄与を続ける」というパスである。
何らかのメカニズムで米国経済がそうしたパスを歩むとすれば、総需要が適度な増加を持続し、したがって経済成長率が潜在成長率に近い値で推移するとともに、企業収益は拡大して株価は上昇し、個人部門の貯蓄不足は解消に向かい、経常収支赤字も縮小に向かうことになるであろう。本当にそうなれば、たしかに万事上手くいくかもしれない。
もっとも、そうしたベストシナリオが実現するためには相当な幸運が重なる必要があろう。第一に、内需の減速と外需のプラス寄与が同時かつ同規模で進行し、結果としての総需要の増加率が潜在成長率におおむね一致するという保障は全くない。ドル安に伴う外需の増加にはタイムラグなどがあって複雑な動きをするので、それを見越してあらかじめ財政金融政策で内需を調節するということは非常に難しいからである。
第二に、為替相場は市場の思惑に大きく振らされるため、ドル安が緩やなトレンドを描いて進行していくというパスは想定しにくい。ひとたびドル安のトレンドが形成され、市場参加者が将来もドル安が持続すると考えた場合には、一斉にドル売りが出てドルが急落するかも知れず、市場の認識が逆転すれば急激なドル高が現出するかもしれないからである。
第三に、これまで海外から積極的にモノを買って世界経済を牽引してきた米国が一転して海外に需要を求めることになった場合に、海外の経済がこれに耐えられるだけの力強い回復を遂げている必要があるということである。今次米国経済の減速が示したように、世界経済は米国の需要に大きく依存しており、米国の輸入が減少すれば世界景気を押し下げてしまう可能性も高い。そうなれば諸外国が米国に充分な需要を提供する余裕もなくなってしまうのである。
さらに、ドル安が本当に米国の経常収支を改善するのかといった問題もあろう。米国経済はサービス化が進んでおり、ドル安になったからといって直ちに輸出を増やせるような製造業は多くないかもしれない。一方で米国の得意とするサービス産業の輸出1入は、財にくらべて価格弾力性が小さいことも考えられ、ドル安になったからといって直ちに輸出が急増するといったことがどこまで期待できるのか、はなはだ不安である。
このように、米国の抱える構造問題は、解決の可能性がないとはいえないものの、深刻な問題であることは疑いないところである。今回の不況が今少し長く深いものであったならば、株価も下がり、個人貯蓄率もあがり、経常収支赤字も縮小していたであろうに、グリーンスパン議長がソフトランディングに成功してしまったが故に構造問題が先送りされてしまったということではなかろうか。
筆者は、ハードランディングをすべきだったと考えているわけではない。(バブル崩壊後の日本経済のように?)山頂からボールが勢いよく落ちすぎて、ボールが割れてしまえば元も子もないのであるが、ボールが緩やかに坂道をころがるようなスピード調整は出来なかったのか、という思いは残っている。
もっとも、筆者は「景気が回復を続けて構造問題が再拡大していく」と見ているわけではない。今後1〜2年程度のタイムスパンで考えた場合、筆者は米国の景気回復力を弱く見ており、今後も米国の景気が明確には回復に向かわず、うっすらとした不況感が残る可能性も小さくないと考えている。その意味では、逆説的に聞こえるかもしれないが、景気の停滞のおかげで構造問題がこれ以上悪化せずに緩やかながら改善に向かっていくという「望み」を持っていると言えよう。不況気味の経済であれば、貯蓄率もある程度上昇するであろうし、大幅な企業収益の減少がなければ金融緩和で株価大幅下落は防げるかもしれない。加えて、輸入の減少が経常収支赤字を縮小させる効果も期待できるからである。
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景気の停滞が持続する可能性
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あしもとの米国のGDPはプラス成長となっており、生産も増加しつつあるが、これは最終需要の回復に基づくものではなく、在庫変動に基づくものであって、短命なものに終わる可能性も小さくない。
表1は、最終需要の変動が在庫変動を通じて生産量を変化させていくさまをシミュレーションしてみたものである。最終需要が回復せずに在庫変動だけで生産量が増加することもありうる(第6期)が、その場合の生産増は短期的なものにとどまるということが読み取れる。したがって、現在のように在庫の変動が生産量の増減に大きな影響を及ぼしている局面においては、生産の動きに惑わされることなく、最終需要の帰趨を見極める必要があるのである。グリーンスパン議長が「最終需要が立ち上がってくるか否かが注目される」と発言している背景には、こうしたメカニズムがあるのである。
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1期 |
2期 |
3期 |
4期 |
5期 |
6期 |
7期 |
| @最終需要 |
97 |
98 |
99 |
100 |
100 |
100 |
100 |
| A適正在庫 |
98 |
99 |
100 |
101 |
100 |
100 |
100 |
| B在庫増減 |
1 |
1 |
1 |
1 |
▲1 |
0 |
0 |
| C生産量 |
98 |
99 |
100 |
101 |
99 |
100 |
100 |
| D生産量増減 |
1 |
1 |
1 |
1 |
▲2 |
1 |
0 |
@最終需要は、毎期1ずつ増加してきた後に横ばいに転じたとの前提。
A適正在庫は、一期後の予想最終需要とした。第4期は、翌期の需要を101と予想、第5期は期中の売れ行きの悪さから需要の伸び悩みを読み取り、在庫を100に絞ったという前提。
C生産量は、最終需要+在庫増減。たとえば第5期は、期中の需要100に対し、在庫の取り崩し1と生産99で対応したと計算。
第5期については、期中に需要の伸び悩みを読み取れるという前提に基づく試算であるが、需要の伸び悩みに気付くタイミングが遅れれば、生産量増減の幅は一層大きくなることに。
そこで、最終需要を注意深く見てみると、これまでのところ、米国の最終需要が立ち上がりつつあるという証拠は多くない。むしろ、先行きについては需要を抑制しかねない要因も少なくないと思われる。
最大の需要項目である消費は、これまで底堅く推移してきただけに、「落ち込みの後のリバウンド」的な増加は見込まれない。また、所得面からも消費性向面からも、大幅な伸びは期待薄である。所得面については、ようやく雇用者数がわずかながら増加に転じた一方で、時間あたり賃金が下落に転じているため、当分低い伸びが続くものと思われる。貯蓄性向については、既に歴史的低水準にあり、これを一層低下させる力が働くことは(突然インフレにでもならないかぎり)考えにくいだろう。むしろ、景気の回復が大方の予想よりも大幅に後づれして回復力も弱いということが認識されていくにつれ、消費者心理が慎重化し、これまでの低すぎた貯蓄率が緩やかに上昇していく可能性も小さくないと思われる。
住宅投資も、「落ち込みの後のリバウンド」的な増加が見込まれないこと、個人の所得の伸びが見込まれないこと、などは消費についてと同様である。住宅価格が緩やかながら上昇を続けていることが住宅投資にプラスに働くという見方もあるが、そのメカニズムが定かでない上に、住宅価格が今後も上昇を続けるという保障もない。
設備投資については、ようやく底打ちしたようにも見えるが、設備投資の決定要因とも言うべき企業収益と設備稼働率を見る限り、回復力には乏しいと言わざるを得ない。企業収益の回復の道筋は見えてきておらず、設備稼働率は生産の(一時的な?)増加を受けて底打ちしたものの、水準としては非常に低い水準にとどまっている。更に重要なことは、設備の過剰感が強いことである。設備の過剰感は、足許の稼働率のみならず、中期的な需要の見通しに影響される部分も大きいが、現在の企業経営者の思い描く中期的な経済成長率はニューエコノミー論が盛んであった時期に比べて相当低くなっていると思われるからである。
政府支出に関しては、軍事関連支出が増加する可能性はあるものの、財政収支が急速に悪化しつつある中で、非軍事歳出には抑制的な圧力が働くと思われる。とくに、地方政府の財政は均衡財政が原則であるから、歳入の減少がストレートに歳出の減少に結びつきかねないわけである。
輸出に関しても、過大な期待は禁物であろう。他国の景気が米国を牽引するほど力強いようには見えないし、今次局面でも明らかになったことだが、「米国経済は図体が大きすぎて、自分が弱ると周囲の国も弱るため、弱った自分を周囲の元気な国が牽引してくれるという可能性は大きくない」のである。米ドルの実効レートが相当ドル高の水準にあることも、輸出の景気牽引力を考える際にはマイナスの材料であろう。
このように、米国の景気の先行きには悲観的な材料が山積しているため、安易な景気回復説には乗りにくい。何と言ってもキリギリスの国であるから、急激な需要減退が深刻な不況をもたらす可能性は高くないとしても、「米国の景気が明確には回復に向かわず、うっすらとした不況感を伴いつつも構造問題が緩やかに解決に向かう」という可能性は、小さいとは言えないだろう。
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日本経済への影響も大
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かつて、「米国が風邪をひくと日本が肺炎になる」と言われた時代には、日本経済の予測を行なう前提として米国経済の予測が重視されていた。その後、日本のバブル期とバブル崩壊後の長期不況の間、日本の景気が米国に追随しなかったことから、米国経済の予測は主に為替や株価を通じた日本への影響という観点から語られることが多くなっていた。
しかし、今次不況は、米国の景気が未だに日本の景気に多大な影響を与えていることを教えてくれた。「米国の需要のわずかな変化が増幅されて日本に影響」し、「病み上がりの日本経済には外からのわずかな寒風でも風邪や肺炎の原因となり得る」のである。
米国経済がサービス化しているということは、米国の財需要の変化が海外の製造業の需要の変化に直結すると言うことである。サービスの需要に比べて財の需要の方が変動が大きいことを考えると、これにより米国経済は相当程度「安定化」し、アジアをはじめとした海外経済は相当程度「不安定化」したと言えよう。したがって、「日本の主要輸出先は米国ではなくアジアだから、米国景気の影響は小さい」ということは決してないのである。
さらに問題なのは、日本の輸出品の重要な部分は資本財であって、設備投資という振れの大きい需要項目に依存していることである。米国やアジアの財の生産数量が変動し、設備稼働率やメーカーの収益が変動すると、レバレッジの効いた形で日本の設備機械の輸出数量が増減することになるのである。所得弾力性の高い高級消費財も日本の主要輸出品であるが、これも所得弾力性の高い品目であって、不況期には消費者が品質よりも価格を選択するために売上が大きく減少する可能性が大きいわけである。
こうしてみると、米国経済の帰趨は今もって日本経済に大きな影響を与える非常に重要な要因であると言える。構造問題を抱えながらも景気が回復し、問題を先送りしていくのか、景気が停滞気味に推移しつつ構造問題が時間をかけて縮小していくのか、今後の推移が大いに注目されるところであろう。
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なお、上記は私個人の見解であり、私の属する組織などの見解を示すものではありません。また、読者に投資などを勧誘するものでもありません。念のため。(Jun.01記) |