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景気の見方読み方
Apr.02 2002.04.01
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経済をみる視点について

 


はじめに
 

「景気の見方」について、講演をしました。拙著を用いての講演でしたが、冒頭に「経済学がわからなくても景気が読めるのは何故か」という話をしましたので、今回はこの部分の読み上げ原稿をご紹介します。わかりやすさを狙って、やや単純化しすぎている面があり、「受け」を狙ってやや極端な表現も使いましたが、真意を読み取っていただければ幸いです。

 
  (景気を見ている人々)
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 景気がよくなるのか悪くなるのかは、多くの人々の関心事項です。たとえば景気がわるくなりそうだということがわかれば、政府にとっては景気をよくする政策をとることができますし、企業にとっては生産や投資を控えて売れ残りや過剰な設備を抱えずに済みます。投資家にとっては株を売って債券を買っておけば利益を得られる可能性が高まります。
 景気は、悪ければ失業などが増えて好ましくありませんが、よすぎてもインフレになったりしますから、どうすれば景気を「ちょうどよい状態」に保てるかという点も、多くの人の関心事項です。政府にとっては政策を考える上で不可欠ですし、企業や投資家にとっても「政府が正しい政策をとりそうか否か」を考えることが有益だからです。
 もっとも、景気に興味があるからといって、普通の人は本業を投げ出して朝から晩まで景気のことを考えているわけにはいきません。そこで、景気のことばかり考えている「プロ」と、彼らの話を聞いて参考にする「利用者」の分業が行なわれているわけです。
 私の独断と偏見ですが、景気のことを考えているプロは、大きく分けて3つに分けられます。理論的な整合性を重視する学者系と、注目されることを重視する市場系と、当てることを重視するエコノミスト系と呼んでおきましょう。まずは、3者がそれぞれどういう思考経路を持っているのかを御説明しましょう。

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 理論で説明できないのは、現実が間違っているからだと考える学者系)
 学者系は、当然ながら経済学の枠組みでものを考えますから、理論的には最も精緻であり、エコノミスト系や市場系の人々に対して「理論的に考えずに経済を語っている」と批判します。この批判はあたっていますが、だからといって学者系の見通しが当たるとは限りません。現実の経済は経済学で説明できるほど単純ではないからです。
 経済学は、現実の経済を単純化した「箱庭」のなかでモノを考えます。ニュートンが「引力や空気抵抗がなければ、投げたボールはまっすぐ飛んでいく」と述べたように、「取引のコストを考えなければ(売り手は妥当な値段さえ示せば買い手を容易に見つけることが出来、商品の輸送コストなどもかからないとすれば)・・・」というような仮定を数多く置いて考えるわけです。こうした考え方を「モデル」と呼びます。経済学には大きく分けて「ケインジアン(ケインズ派)」と「非ケインジアン」があります。ケインズは大恐慌を目の前にして、失業を減らすにはどうしたらよいかを考えるところから出発しましたから、どちらかと言えばケインジアンは現実を直視していますが、その分だけ純粋理論的には問題を抱えているといえましょう。一方で非ケインジアンは、理論的な精緻さを重視していますから、学者同士の論争では有利に立つことが多いようで、最近ではケインジアンよりも勢力が優勢になっているようです。
  非ケインジアンは、「人々は合理的に行動する。したがって、不景気で失業が増えれば失業者は賃金の安い仕事を探すだろう。賃金が下がれば雇ってくれる会社が見つかるだろうから、失業問題などというものは瞬間的に解決するはずのものだ」と考えます。彼らにとっては、「政府が無用な規制さえしなければ、神の見えざる手が経済を好ましい姿に導く」という考え方が基本中の基本だというわけです。小泉内閣の「骨太の方針」は学者系の考え方が色濃く出ているもので、たとえば「ヒトと資本が効率性の低い部門から効率性の高い部門や必要とされる部門へ移動することが重要で、その障害となるモノがあれば、それを取り除く」ということが基本理念として謳われているわけです。障害物さえ取り除けば日本経済が実力に相応しい発展を遂げるに違いないという発想が根本にあるわけです。
 かつて、「円高になると輸出産業が潰れて失業者が増えるから円高は困る」という議論をしていたときに、高名な学者が「失業した人は輸出産業以外の産業に雇われいくから問題はありません」と言い切っていたのが印象に残っています。
 理論を推し進めると、「人々が合理的ならば失業問題は生じない。失業問題が生じるのは人々が合理的に行動しないからであって、これは現実が誤っているということを示すものだ」ということになるでしょう。極論すると学者系とは、そういう発想をする人々なのです。

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 (正しい見通しを出すことよりも注目されることを重視する市場系)
  市場系の人々は、マーケット・エコノミストと呼ばれ、主に証券会社で見通しのレポートを書いている人々です。彼らは、見通しが当たることよりも注目されることに重点を置く傾向があります
 第一の理由は「自分の書いたレポートが顧客に読まれることが会社の利益になり、したがって自分にとっても報酬が増えるなどの利益になるから」でしょう。とくに、米系証券会社は報酬の決め方にメリハリがついていますから、「注目されるレポートを書きたい」というインセンティブが強いわけです。見通しが当たることも注目されるための一つの方法ですが、顧客に新しい視点を提供することも、当たる見通しに劣らず有効ですし、「当たり外れといった運に左右されない」というメリットもありますから、そうした道を選択する人も少なくないわけです。いずれにしても「大勢の人が書いているのと似ている常識的な結論のレポートでは誰も読んでくれないから、奇抜なことを書こう」というインセンティブや、「聞き手に受け入れられやすい事を言おう」というインセンティブが働くため、かならずしも「正しいことを書こう」という動機が最重要にはならないということには注意が必要です。
  1人のマーケット・エコノミストが助手を使ってトップダウンで見通しを作成しているという体制も影響しています。細かなデータを精緻に分析しているわけにいかないので、注目されそうな大きなポイントに絞って述べる必要があるわけです。証券会社の名誉のために言っておくと、トップダウン体制を採っているのは、証券系がマーケット・エコノミストを大勢雇う資金を節約しているからではありません。大勢の共同作業だと、どうしてもコンセンサスを得るために「常識的であたりさわりのない」結論になりがちだからです。
 今ひとつの理由は、顧客の側にあります。彼らの顧客は市場関係者が主ですが、市場関係者という人々は、「他の人が何をしそうか」ということに非常に強い関心を持つ人々だからです。というのは、たとえば「株安になる客観的な理由が全く無くても、皆が株安になると思えば皆が株を売り、実際に株安になる」というのがマーケットの仕組みなので、「自分が正しいと思うこと」よりも「他人が何を考えているのか」に従って行動することが重要になります。そのときに頼りになるのが人気のあるマーケット・エコノミストのコメントです。そのコメントが正しいから頼りになるのではありません。他のマーケット参加者も同じコメントを頼りに行動するからです。したがって、如何に自分の考え方に自信がある人でも、人気のあるマーケット・エコノミストのコメントは参考にするということになります。このことは、「一度人気の出たマーケット・エコノミストは一層人気が出る」ということですから、マーケット・エコノミストたちは人気が出ることを目標にがんばっているというわけです。

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 (当てるために勘ピューターを駆使するが、なかなか当たらないエコノミスト系)
  エコノミスト系の人々は、主に中央官庁(旧経済企画庁、現内閣府)、日銀、民間銀行系シンクタンクにいます。国の経済運営や金融政策を行なう際には「景気がどうなりそうか」ということを当てることが極めて重要です。銀行にとっても景気が悪くなりそうな時には貸出を慎重に行なうこと、顧客に見通しを伝えて設備投資を思いとどまってもらうこと、などが必要なわけです。そこで、「理屈をこねまわして現実を直視しないことは言語道断。注目されるために真実の追究を怠ることも言語道断。ある程度の説得力のある理屈は必要だが、とにかく当たることが最重要」という行動パターンを採ることになります。
 もっとも、経済現象はそれほど理屈どおりには動きませんし、「過去の例を参考にする」ことも容易ではありません。たとえば仮に原油価格が4倍になったとしたら、インフレ率を予測するために石油ショックの時の例を持ち出しても意味がないでしょう。当時と今とでは経済状況が全く異なるからです。したがって、エコノミストたちが「勘に頼って」適当と思われる数字を各々勝手に述べるということになるわけです。もちろん、「それらしい理屈」はそれぞれに考えるでしょう。「石油ショックの時よりは日本経済が石油に頼る度合いが減っているから、当時よりは影響が少ないだろう」とか「今は不況だから、原油の値上がりを小売価格に転嫁できないかもしれない」とかいう説明とともに、低めの数字が並ぶのでしょうが、それにしても頼りないですね。エコノミストたちに言わせれば「これは芸術であり、職人芸だ」ということになるのでしょうが、外の人たちからみると「エコノミストが10人寄ると、経済予測が11出てくる」ということになっているようです。
  勘ピューターを駆使して成長率予測を当てようと懸命に努力しても、実際にはなかなか当たらないものです。理由はいろいろあります。第一に、予期せぬ事件が起きると経済予測は当たりません。石油ショックが起こったりプラザ合意が締結されたりした場合には、誰のせいでもありませんが、エコノミストの予測は外れることになるわけです。為替が大きく動いた場合なども、「事件」にはいるでしょう。エコノミストが為替の変動を読むことは極めて難しいため、これには本当に悩まされます。為替は市場参加者が「他の市場参加者は何をしようとしているのか」をお互い読みあって行動する結果として「理屈で考えた為替の動き」と全く異なる動きをすることが多いからです。市場参加者はエコノミストの為替予測を「理路整然と間違える」と言っているようですが、まさにそのとおりだと思います。
 もちろん、エコノミストの力が足りなくて予測が外れることも決して少なくありません。特に多いのが、予測時点の景気が今後も続くと考えてしまう場合です。人間の想像力は残念ながら乏しいもので、どうしても予測が現状に影響されるわけです。

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 (供給を重視する学者と需要を重視するエコノミスト)
  成長率を考える際に、供給側の生産性上昇率などに注目するのが学者系、需要の増減に注目するのがエコノミスト系という対比も重要です。学者系は「作られたものは売られる。需要と供給が一致するところに価格が決まるからである」と考えます。したがって、生産性が上昇した分だけ生産量が増え、それが成長率になると考えるわけです。一方でエコノミストは「需要さえあれば、供給はついてくる。経済成長率を予測するためには需要がどれだけ増えるのかを予測することが重要だ」と考えます。したがって、エコノミストが成長率を予測する際には「個人消費はどれだけ増えるか、設備投資はどれだけ増えるか、・・・」というように、各需要の伸びを考えて足しあげるという方法をとるわけです。
 小泉内閣の構造改革について、「骨太の方針」は供給者(サプライサイド)を強く効率的にすることに重点を置き、需要を増やすことにはそれほど関心を持っていないわけですが、これは学者が書いたものだからでしょう。
 それに対し、エコノミストは「供給サイドの効率化は重要だが、不況下で構造改革を断行しようとするならば、需要面のことも考える必要があるだろう」と考えるわけです。これは何も公共投資を増やそうということに限ったことではなく、規制緩和による需要創出などを含んだものですが、いずれにしても需要のことを重点的に考えるということです。

トップへ  さて、これまで3者の思考経路についてお話してきました。実際には、エコノミストの中にも学者に近い人やマーケット・エコノミストに近い人など、さまざまな人がいますし、学者の中にも現実を見つめようという人が大勢いますが、あえて無理矢理3つに分類してみたということです。
 各者の「中間目標」はそれぞれ異なりますが、究極の目標は「論理的に正しく、説得的で、かつ当たる予測」を行うことでしょう。喩えて言えば、同じ山の頂上を目指していながら、別のルートを通っているといったイメージでしょうか。お互いに仲が悪いように見えることもありますが、「こちらのルートの方が頂上に到達しやすい」という論争をしているようなものでしょう。
 三通りの登山ルートには、当然ながら3者ともに、長所と短所があります。したがって、お互いのよいところを尊重しあって歩み寄っていけるならば、お互いにとってメリットがあるにちがいありません。もちろん実際には、お互いが歩み寄ることは、簡単ではないでしょうが、最低限お互いが何を考えているのかを理解し合うことは重要だと考えています。
 私は、エコノミスト系の末席を汚しているものですから、本日はエコノミストというものがどういう思考回路を持っているのかというお話をします。最後は勘ピューターに頼るわけですが、勘に頼る際にもノウハウは最大限活用し、チェックポイントはクリアーする必要があることは当然です。芸術家たちも最後は職人芸に頼るわけですが、彼らにも当然に学んでおくべきノウハウや基礎知識があるということを思い起こしてください。
 ここまでお話してきたように、また拙著の帯にあるように、経済学の知識がなくてもエコノミストの思考回路は理解できますし、景気の先を読むことは可能です。もっとも、経済学を理解していればベターであることは間違いありません。少なくとも経済学者の思考経路を理解しておくことは大変有益だと思います。その意味で、私は現在経済学の教科書を執筆しています。もちろん主な対象は経済学を学ぶ学生ですが、エコノミストたちや、マーケット・エコノミストたちにも広く読んでいただき、相互理解を深めていただけるよう、微力ながら書き方に工夫を加えてみたつもりです。「経済学を知らなくても景気の先が読めるならば、経済学の教科書は読む必要が無い」などと考えずに、視野を広く持っていただきたいというわけです。
 前置きはこれくらいにして、本題にはいりましょう。・・・
     
  なお、上記は私個人の見解であり、私の属する組織などの見解を示すものではありません。また、読者に投資などを勧誘するものでもありません。念のため。(2002.04.01記)
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