| はじめに
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ある雑誌にシミュレーション小説を載せたので、ご紹介します。ご笑覧いただければ幸いです。「図解 よくわかる構造改革」の最後の部分をアレンジしたものです。
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小泉改革の基本理念が既得権の排除とグローバルスタンダードの導入であったとするならば、まさに理念は完璧に実現されていた。「構造改革という外科手術により、2〜3年は痛みに耐える必要があるが、その後は活力ある日本経済が復活する」という当初の目標も完全に達成されていた。もっとも、そこに至る過程は小泉内閣の描いていた道筋とは似ても似つかないものであった。改革をめざしていたところ、革命が起きたのである。
小泉政権が発足して半年、改革の進捗ペースが遅いとの批判も出始めていたが、政権の独自色はそれなりに発揮されていた。「何かを変える」ことは既得権者の抵抗もあって思い通りには行かないものだ。しかし、「大型補正を組まない」「ペイオフ解禁を延長しない」といったことは容易に行なえたし、それだけでも大きな「改革」と言えるものであった。従来型の政権の下でこれだけ景気が悪化すれば、当然に大型補正が組まれ、ペイオフも延期されていたはずだからである。
失業率が上昇を続け、鉱工業生産が前年比二桁の減少を続けるなど、景気は激しく悪化していた。しかも、事態が改善する兆しはどこにも見えなかったのである。
こうした中でも、財政構造改革は基本的に堅持され、年末に発表された2002年度予算案では公共投資の積み増しといった従来型の景気対策は一切行なわれなかった。「無駄な道路でも、作る作業自体が失業対策なのだから、不況期には公共投資を増やすべし」という従来型の考え方を否定することが、財政構造改革の基本理念だったからである。のみならず、国債発行を三十兆円以内に抑えるために歳出が大幅に絞り込まれおり、前年度の補正予算の小ささと合わせると、財政の景気抑制効果は相当なものとなっていた。
年があけると、景気は一層悪化していった。そもそも景気には、一度悪化を始めると「生産減少→雇用減少→個人所得減少→個人消費減少→生産減少」といった悪循環に陥る性質があり、対策が講じられない限り悪化を続ける場合が多い。加えて、タイミングが悪いことに、景気をさらに悪化させる材料が山積していたのである。
米国の景気は、大方の予想に反して悪化を続けていた。テロに伴う影響もあったが、何よりも九十年代後半の好況の反動(バブル崩壊の後遺症と呼ぶ人も多い)が大きかった。
政府は大手銀行に対し、不良債権の認定を厳しく行なうように指導した。破綻懸念先と認定された借り手の多くは法的処理の対象とされたから、倒産は激増した。倒産は連鎖倒産を呼び、新たな不良債権を生み出した。これが銀行の自己資本比率を引き下げ、金融システムの不安が高まっていった。 景気の悪化、株式持ち合いの解消、米国の株価下落、などが影響して株価は下落を続けた。これは、銀行の自己資本比率を引き下げ、逆資産効果が消費を抑制したのみならず、世の中の景況感を一層暗いものとしていった。
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景況感の悪化や株価の下落などから消費者マインドは冷え切っていたが、なかでも構造改革の被害者となりそうな人々は、凍りついたように消費を抑えて貯蓄に励んでいた。法的処理をされそうな赤字会社や政治力の弱そうな特殊法人に勤めている人たちである。
ペイオフが予定通り4月から実施されることが決まると、中小銀行を中心に預金流出が本格化した。預金者たちは、かつて破綻した銀行が粉飾決算を行なっていたことを知っていたため、銀行の決算書を信じていなかったのである。
不動産市場では、破綻懸念先の法的処理が進むにつれ、競売案件が激増し、需給の悪化が先安感を生みだし、それが一層需給を悪化させる悪循環が生じはじめていた。
4月になった。ペイオフが解禁され、銀行からの預金流出は加速した。銀行によっては融資を回収して預金の払い戻しに応じざるをえず、貸し渋りが発生し始めていた。そんなある時、ある地銀の経営不安の噂が取り付け騒ぎに発展した。「ある地銀の役員相互の不和が伝えられ、それが経営不安の噂を増幅した」ことが発端であったようだが、「貸し渋りを恨みに思った借り手が意図的に噂を流した」という説も根強くささやかれている。
小泉内閣は、「安易な救済がモラルハザードを助長することを避けるべき」として、当該地銀を閉鎖し、「市場から退出を求められた銀行は潔く退出すべき」とのコメントを発表した。これが全国的な取り付け騒ぎに発展し、日本中の銀行の金庫が文字通り空になった。
金融は経済の血液のようなものであるから、銀行が機能を停止して金融が麻痺すると、日本経済は活動が事実上停止してしまった。すべての取引が現金決済か物々交換となり、通常の商売が出来なくなったからである。
経済がメルトダウンを始めると、もはや誰も事態を収拾できるものはいなかった。円も株も、買い手が不在のまま暴落した。国内には買い向かえる余裕のある人はおらず、外国人が超安値で日本を買い漁るのを見守るだけであった。銀行は国有化されたが、これも遠からず外資に売却される運命であった。
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外資に買収された大企業は生き残ったものの、大規模なリストラが行なわれたし、買収されなかった中小企業は多くが倒産した。失業者とホームレスが街にあふれ、自殺者も激増した。各家庭には銀行から引き出した大量の現金が置かれていたため、これを狙った犯罪も増加しはじめていた。幸いであったのは、暴動などが起きなかったことであろうか。
時が経ち、嵐がおさまってみると、すべての既得権が失われていた。日本経済は外国人の手に完全に握られていた。政治家や官僚は、権威も権限も失なっており、グローバルスタンダードと異なる法律や制度などは外圧でどんどん撤廃されていった。
銀行が国有化され、すべての膿が出尽くしたため、不良債権はもはや経済の足枷ではなかった。財政赤字も、インフレによって大幅に緩和されていた。人々の手元に多額の現金があり、国内の生産活動が滞っている間に物価が跳ね上がったし、円安に伴う輸入物価上昇もインフレを加速したからである。
日本経済がメルトダウンしたといっても、立派な機械や優秀な人材が失われたわけではないから、事態が落ち着いてくると経済活動は急速に回復していった。人々は、能力に応じて所得が増えるシステムのもとで、精一杯活き活きと働いていた。他人を頼るわけにはいかない自己責任の社会となったため、だれもが真剣に自分を磨いていた。
弱肉強食の世界となったため、もたれあいの社会に安住していた人々は落ちこぼれ、新しい社会に適応するのに時間がかかったが、全体としてみれば比較的順調に新しいシステムが受け入れられていったと言えよう。
それは革命であった。すべての秩序が崩壊し、新しい秩序が立ち上げられたからである。大火事で森林の古木が焼き払われた後に若草が活き活きと育つように、いたるところで新しい経済の活気が溢れていた。
喉元の熱さを人々が忘れたころ、「一連の出来事は、日本にとってよいことだったのか」という議論が流行ったが、結論は出そうもなかった。「これはウインブルドン現象そのものだ」ということには多くの人が同意していたが、それを是とするか非とするかは、多分に価値観に基づく判断だったからである。もっとも、そうした議論に興味を示さない人も多かった。「日本にとってよかったか否かはわからない。でも、私にとっては新しい世の中が住みやすい」という人も多かったからである。
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なお、当然ながら上記はフィクションであり、筆者の予測を示すものではなく、読者に資産の売買を勧誘するものでもない。。(2001.12.01記) |