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景気の見方読み方
may.01 2001.5.01
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経済政策に関する頭の体操

要旨

佃氏いわく「いわゆる構造問題を一気に解決する体力は今の日本経済には無い。責任ある政策担当者は危険な賭けを避け、全力で出産奨励策を採るべきだ。これにより、日本経済の構造的な需要不足も超長期的な財政・年金問題も大きく緩和されるだろう

はじめに up
 

2月に登場していただいた佃氏(Feb01参照)に、日本の採るべき経済政策について伺いましたので、以下にご紹介します。佃氏はいわゆる常識人ではないが故に斬新な視点を提供してくださいますので、頭の体操と思ってお楽しみいただければ幸いです。以下は佃氏のご意見を筆者がまとめたものです。

財政赤字問題は難関 up
 

日本経済の抱える構造問題として、不良債権問題とか財政赤字とかが指摘され、「こうした問題を先送りせずに一気に解決すべきである」という主張がまことしやかに行われています。「構造問題を抱えたままだと、日本経済の活力が失われたままだから」というのが論拠でしょう。構造問題は慢性疾患のようなものですから、外科手術をしないと長らく不健康な状態が続くということでしょうか。論旨自体は理路整然としていますが、不思議なのは誰も「日本経済はそうした外科手術に耐えられる」という説明をしてくれないわけです。お医者様は必ず手術の前に患者の体力を考慮して患者が耐えられそうな場合にのみ手術をします。それなのに、政策担当者に向かって「日本経済が耐えられるか否かわからないが、とにかく慢性疾患は手術せよ」と主張する人が多数派を占めているということは、驚くべき事と言えましょう。

2月に紹介していただいたように、銀行の不良債権問題は性急に解決を図るべきものではありません。銀行の利益の範囲で不良債権を償却していけば、いつかは解決される問題ですから、漢方医療で行くべきでしょう。持ち合い解消にしても、一気に進めれば株価が暴落するでしょうし、企業の抱える「設備、負債、人員の三つの過剰」も一気に解決を図れば大不況が来るでしょうから、緩やかな景気の回復と経済成長に期待するべきでしょう。構造問題があっても緩やかな景気の回復は可能ですから、政策的な失敗がない限り、時間はかかっても問題は解決の方向に進んでいくことが期待できるわけです。

    

最近の諸情勢を見ていると、政府が「構造問題の解決を焦りすぎて誤りをおかす可能性」も小さくないようで、心配です。「構造改革は外科手術であって、短期的には痛みを伴う」という人がいますが、一方で「構造改革をすれば景気が良くなる」という誤った理解をしている人も少なくないようです。政策を担う責任ある人々がそうした誤解をしていないように祈るばかりです。。
政策を誤らないために、さらに重要なこととして「政策のアカウンタビリティー」を高めるために、政府としては「構造改革を進めた場合」と「問題を先送りした場合」の両方について、今後5年間程度の成長率、失業率などの見通しを示すことが必要でしょう。病み上がりの病人の慢性疾患を外科手術することにより患者がショック死する可能性についても政府なりの見解を示すべきです。
もっとも、ここでは政府が失敗した時の事を論じることは生産的ではありません。どこまでどういう失敗をするかがわからないからです。従って、ここから先は、政府が失敗せずに(事を急がずに、体力に応じたスピードで緩やかに改革を進めていくことで、経済の失速を回避し)、景気が緩やかな回復を持続していくという仮定で議論を続けたいと思います。

 

 

他の問題が時間をかければ解決できる中で、時間が経てば経つほど悪化して行く事が懸念されるのは財政赤字の問題で、これが諸問題の中でおそらく最も困難な問題だと思います。

日本人は貯蓄好きですから、高度成長期のように高い成長率を続けて投資需要が盛り上がり続ければ別ですが、普通の状態では需要が不足しがちで、恒常的に不況対策としての公共投資が行われる必要があります。過去の統計を見ても、高度成長期が終了してから財政が黒字になったのは、バブルの頂点の時だけであり、通常程度の好況では財政の赤字は拡大を続けるというわけです。しかも、少子化高齢化が進めば財政は悪化していくでしょう。従って、現在すでに制御不可能な規模に上っている国債残高が、将来も拡大を続ける可能性は非常に高く、遠い将来のいずれかの時点で大インフレにでもなるしかないという気さえもしてきます。

他の構造問題が「死に至らない病」であって漢方治療が妥当であるのと比較して、財政の問題は、放置しておくと事態が改善せずに悪化していくという意味で、他の諸問題とは決定的に深刻さの異なる「死に至りかねない病」であると言えましょう。(だからと言って、外科手術を試みて即死するリスクを冒すべきでないことは当然ですが)。

出生率が上がれば財政問題は緩和 up
 

経験した方はおわかりでしょうが、人は結婚し、子供を育てると、気が遠くなるような金額の支出をします。従って、日本人の出生率が上昇すれば、莫大な需要が作り出されることになります。出生率が低下している原因は経済的な問題だけではないでしょうが、経済面のインセンティブが出生率を高めることも一方で疑いの無いことでしょう。中途半端な優遇策ではなく、少し極端なくらいの優遇策を行うべきで、発想としては景気刺激のための公共投資予算を全額振り向けるくらいの意気込みが必要でしょう。例えば、10歳以下の子供には毎年百万円を育児手当として国が支払うとすれば、出生率がある程度は高まることが期待されます。(子供一人当たり百万円×10年間×年間出生数百万=10兆円とすれば、そこそこの規模の経済対策といったところでしょうか)。
  子供を持つ親は消費性向が非常に高いですから、政府が児童手当を支払えば、そのほとんどが消費に回ると考えてよいでしょう。従って、仮に「児童手当により出生率が全く高まらなかったとしても、景気対策としての需要創出効果は通常の減税よりも遥かに高いでしょうし、公共投資にも劣らないものと思われます。
 現金の支給以外にも、出生率を高める工夫は可能です。「働く女性が出産しやすいように、全国に保育園を大幅増設して、これをすべて無料とする」といったものや、「子供の数が多いほど将来の年金が多く受け取れる」といったものも、検討に値するでしょう。
  少しでも出生率が上昇すれば、子供はおよそ20年間にわたって親の家計に大きな需要を強制的にもたらしますから、日本経済の構造的な需要不足を相当長期にわたって緩和してくれることが期待できます。さらに、子供たちが生涯に納める税金は相当な金額に上るでしょうから、超長期で見た財政収支への影響は公共投資よりも遥かに良いと言えるでしょう。
  さらに、超長期での最大の問題の一つである年金の問題も、出生率が上昇すれば大きく緩和されるでしょう。人口の減少過程で生じる「少数の働く人が多くの働かない老人を支える」事態が防げるからです。
  財政の問題ではありませんが、出生率が高まれば、将来の労働力不足の懸念も緩和されるでしょう。
  このように、出生率が高まれば、日本経済が抱えている多くの問題に大きくプラスになる一方で、それに伴うマイナスの影響は特段見込まれないわけですから、政策論としてはこれを強力に推進すべきでしょう。
 なお、このことは、ミクロのベースで出産しない夫婦や結婚しない若者を非難するということとは全く異なるので、注意が必要です。経済政策とは、個々人の自由を尊重した上で、インセンティブを与えて国全体を望ましい方向に持っていこうというものだからです。「不況期に住宅投資減税や設備投資減税を行う際に、住宅消費を控える個人や設備投資を控える企業を非難すべきでない」のと同じことだと考えれば、当然のことでしょう。

外国人労働者受け入れの議論は慎重に up
 

「将来は少子化高齢化により労働力が不足するであろうから、外国人労働者を大量に受け入れるべきである」という人が多いようです。出生率さえ上がればその必要がなくなるのでしょうが、ここでは出生率が上がらない場合について考えてみましょう。
  受け入れ賛成派の論拠は、「外国人労働者を大量に受け入れないと、生産者と消費者のバランスが崩れて貿易赤字に陥ったり必要なサービスが受けられなかったりするから」ということでしょうが、反対派からみれば「将来的に労働力が不足する事態になれば、高齢者や女性が今まで以上に働くようになるし、賃金の上昇から省力化投資が促進され、経済全体として効率化するであろうから、総合的に考えて、それほど困った事態とはいえない」とも考えられるでしょう。
  「歳を重ねても働かされるのか」と考える人がいるかもしれませんが、不安に思う必要はないでしょう。相対的に労働力が不足して労働の対価が上昇し、働くインセンティブが増すから高齢者が自発的に働くようになるわけで、働かなければ食べていけないということではないからです。そもそも日本人は(特に年齢層の高い人たちは)、働くことに生きがいを見出している人も多く、歳をとっても働けるということをプラスに考える人も多いのではないでしょうか。
  一方、労働力不足を外国人で補おうという発想は、高齢者や女性の潜在的な労働力を活かさないということです。それ以上に問題なのは、「日本人の失業率が高まらない範囲で外国人を受け入れる」というようなことが難しい以上、「外国人を受け入れすぎて日本人の失業率が恒常的に高止まりする」というリスクがあることでしょう。少なくても「日本人の失業率が上がったから外国人は帰ってくれ」ということは非常に難しいのではないでしょうか。
  そもそも、外国人労働者を大量に受け入れるということは、単に労働力需給だけの観点から考慮すべき事柄ではなく、国民生活の快適さという観点からの幅広い議論が必要な問題でしょう。「閉鎖的」「英語コンプレックス」と言われる日本人の社会に大量に異文化の人が流入し、言語も生活習慣も衛生観念も異なる人々が入り込むことが日本人にとって幸せか、という観点が議論される必要があるわけです。高齢者ほど、「多少の不便はあっても多少経済の成長性が犠牲となっても、住み心地の良さを大切にしたい」といった意見が多いでしょうから、高齢化社会においては国民の意向が外国人労働者受け入れ消極論に傾く可能性が小さくないと言えましょう。その場合には、民主主義国家ですから、経済面での観点だけで外国人の受け入れを議論するべきではなく、生活者としての視点からみた国民の幸福なども総合的に判断する必要がありましょう。
 外国人労働者や移民を大量に受け入れるべきという意見の中で、特に問題だと思われるのは「少子化が進むと長期的には人口が減少し、日本の経済力が維持できないから」というものです。我々に必要なのは、国民一人当たりのGDPであって、国のGDP規模ではないでしょう。仮に日本列島の人口が半分になってGDPが2割減ったとすれば、国民は今よりも豊かな生活を送り、しかも過密や通勤地獄や住宅難などに悩まなくなるかもしれません。それで良いという考え方も十分成り立つわけです。
 「日本国のGDPを増やす」ことが目的だとするならば、半分に減った日本人を日本列島の東半分に集め、西半分をアジアからの移民に開放すれば、確実に日本国のGDPは増えるでしょうが、それが日本国民の幸せにつながるとは言えないでしょう。それならば、「日本列島の東と西に分けずに外国人を日本中に薄く広く受け入れる」のはどうでしょうか?同じことなのではないでしょうか。

     
  なお、上記は佃氏個人の見解であり、佃氏の属する組織などの見解を示すものではありません。また、読者に投資などを勧誘するものでもありません。念のため。
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