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景気の見方読み方
Feb.01 2001.2.1
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不良債権処理の是非について

要旨

佃氏いわく「不良債権処理を先送りしてきた事はやむを得ない措置であった。90年代初に全銀行が不良債権のすべてを完全に処理していたら、日本中の土地が暴落して全邦銀が倒産していたであろう」

はじめに up
  私の敬愛するエコノミストたちの一人に、佃佳志(ペンネーム)という方がおられます。氏はいわゆる常識人ではありませんが、それが故に奇抜なアイデアに富み、その見解は示唆に富んでいる場合が少なくありません。
  「バブル崩壊後の銀行の不良債権処理が先送りされて来た事が不況長期化の諸悪の根源である」と言われていますが、氏は真っ向からこれに反論されています。やや強弁的なところを差引いたとしても、一考に値する論点は数多く提示されていると思います。
 

先月の私のレポートに、不良債権処理の先送りに理解を示した個所があり、読者の方から反論を頂きましたので、良い機会だと考え、この点について私に大きな影響を与えた佃氏の御見解を、以下にご紹介する次第であります。

不良債権処理を巡る議論の混乱 up
 

不良債権問題は確かに深刻であったが、これはバブルが大きすぎた事が原因であって、バブルの処理を誤った事が問題なのではない。しかるに世の中では「不良債権処理を先送りしたことが90年代の長期不況の主因である」と言われている。こうした議論の背景にはいくつかの不幸な巡り合わせがあると思われる。

第一は、バブル崩壊で自信喪失した日本人が米国への劣等感から、「日本的な漢方治療よりも米国流の外科療法が優れている」と信じてしまったことである。米国流のアナリストなどが「構造改革が進まないと日本は駄目だ」というのを真に受けて、「だから構造改革を急ぐべきであったのだ」と考えた人が多いようだが、外科手術は患者の体力を見ながら実施するもので、「患部は切ればよい」というのは余りに短絡的ではなかろうか。


第二は、一部金融機関が経営者の犯罪的行為により損害を膨らませたことが、「問題先送りが被害を大きくした」という一般論に摩り替えられてしまったことである。これは「犯罪者を早くつかまえるべきであった」ということが「真面目に不良債権の回収に取り組んでいた銀行でも、不良債権が大きいところは早く潰すべきであった」ということに何時の間にか拡大解釈されてしまったということで、論理的ではなかろう。


第三は、「利払いの止まった不良債権は不稼動資産であるから、叩き売って、稼動資産である現金を手にすべきである」という主張が広まったことであろう。これは、一見理論的であるが、「不良貸出債権又は競売不動産を買い取ったハゲタカファンドにとっては、取得した資産は不稼動資産などではなくて金の卵を生む鶏かも知れない」という事とどのように整合的に説明するのかを考えると、そう単純な問題でもないことが理解出来よう。

指摘されている問題点は何か up
 

それでは具体的に何が問題で何をどうすればよかったと言うのであろうか?世の中で指摘されている「問題点」としては、(1)バブル崩壊後数年間にわたって銀行の不良債権の認定が甘すぎた、(2)これにより、問題の深刻さが充分認識されず、不良債権処理が遅れた。これは、結果として問題の先送りにつながった。(3)邦銀の不良債権残高が減っていないのは、処理が未だに進んでいないということだ、(4)不良債権は、引当金を積むのではなく、担保処分などにより資金を塩漬けから解放すべきであった、(5)利払い不能取引先に利息を追い貸しして健全債権を装ったことで不良債権額が脹らんだ、(6)不健全な銀行を潰さなかったことで、金融システム不安の安定化が遅れた、(7)もっと早く公的資金を投入して銀行の自己資本を健全化し、貸し渋りを防ぐべきであった、(8)銀行が不良債権処理を先延ばししたことが、金融システム不安を長引かせ、銀行の貸し渋りを通じて景気回復を阻害した、(9)破綻している借り手の延命に手を貸したが故に、日本経済の構造改革を遅らせた、といったところであろうか。こうした見方はいずれも一面的であって、現実的とは言い難い、机上の空論というものであろう。

(1)90年代前半の邦銀は、出来るだけ緩く不良債権を認定していたが、そのことをもって直ちに非難されるべきとは言えない。複数の評価方法が可能である場合に合目的的に選択を行うという事は特に問題とならないからである。特に、金融システムの維持という国益に直結しかねない状況においては、合目的的に判断したのは正しかったと言えるのではなかろうか。
技術論としては、利払いの続いている債権と止まっている債権に分けて考えるべきであろう。前者については、「利払いが行われている借り手についても、バランスシートを精査して保有資産を売却可能価格で再評価して債務超過であるか否かを判定すべきであった」とまでは言い切れまい。バブル崩壊後も当分の間は大部分の借り手が利払いを続けていたことを考えると、「バランスシートを厳しく精査すれば実質債務超過に陥っているかもしれない借り手」に対する債権も、正常債権として把握されていた場合があったと思われるが、それ自体は非難するには値しないであろう。後者については、「利払いがとまった取引先については、必ず担保処分を前提とした回収見込み額を計算して、不足分は引当てるべきである」と言うのも極論であろう。企業を解体して担保を競売にかける事が銀行の回収金額を極大化するというわけではなく(むしろ暖簾代を放棄するなどにより相当程度減少する場合が多いであろう)、従って回収可能見込み額は担保処分見込み額よりも多いことが普通だからである。

    

もっとも、銀行としては配当と役員賞与を早めに止めるべきであったかもしれない。不良債権を緩めに認定している以上、将来の事態の悪化に備えるべきであったと言えるし、「配当や役員賞与を保つ目的で決算を取り繕った」といった批判を受ける可能性もあったからである。

 

 

(2)90年代前半に銀行が不良債権の認定を厳格に行えば、債務超過に陥って倒産したところも多いであろうし、少なくともBIS規制に抵触し、猛烈な資産圧縮に走る銀行が多かったと思われる。それにより猛烈な信用収縮が起こり、日本経済は崩壊していたであろう。90年代に銀行は莫大な業務純益を稼ぎ、それをすべて不良債権の処理に用いたにもかかわらず、結果としては若干不足し、公的資金の投入が必要となったわけであるから、業務純益を稼ぐ前に不良債権を処理することなど非現実的な机上の空論である。明らかな粉飾決算であれば当然非難されるべきであろうが、許容される範囲内で最も緩い認定を行う事で、日本経済の破綻を防ごうと試みたとすれば、正しい選択であったと言えよう。

    

もっとも、銀行なり当局なりがそこまで考えて判断したのか否かは判らないが、少なくとも幸運なことに結果としては正しい処理が行われたわけである。

 

 

(3)邦銀は、貸出債権が不良化して一部または全部の回収が困難であると判断された場合には、推定損失額を引当金という形で計上している。従って、不良債権がバランスシートに残っているからといって処理が済んでいないわけではない。引当て済みの債権を売却するか担保処分するか等は、多様な処理方法のいずれを選択するかの問題であって、次項で論じる。
貸出全額を資産に残した上で引当金を積む方法の他、貸出金の一部を償却して資産を圧縮する方法もあるが、銀行の実体には何の相違もない。引当金だと大蔵省への提出書類が少ない一方でBIS比率計算の際に楽になるといったことはあるようだが、本質的な問題ではないだろう。

    

「引当金方式だと銀行の評価が甘くなる余地があるが、担保処分などの方法であればその余地がなくなるので好ましい」という議論はあり得るが、これは「必ず担保処分価格で評価すべきか否か」という(1)の議論に戻るものであって、処理方法の優劣そのものを論じるものではなかろう。

 

 

(4)「不良債権は、引当金を積むのではなく、貸出債権自体の売却や、担保の処分などにより、銀行の資金を塩漬けから解放すべきであった」と考えるのも、一面的な発想であろう。第一に、会社の価値は会社を構成する個々のバランスシート上の資産の価値よりも大きいことが多く、企業買収の場合にはこの差が暖簾代となるわけであるが、このことは債務超過の企業であっても同様に当てはまるわけで、やみくもに会社を分解して資産を切り売りする事は社会的な損失と同時に銀行の回収金額を減らしてしまう可能性が大である。第二に、ハゲタカファンドへの売却は資産の叩き売りであって、銀行にとって好ましいとは言い切れないわけである。
たとえば「銀行が子会社にハゲタカファンドを持っていて、不良債権や担保物件をそこに売却した」というケースを考えてみよう。「不良貸出債権又は競売不動産を買い取ったハゲタカファンドにとっては、取得した資産は不稼動資産などではなくて金の卵を生む鶏かも知れない。だからこそハゲタカファンドは何の義務もないのに不良資産を買うわけである」ということを考えると、このケースでは、親銀行も不稼動資産が稼動資産(とりあえずは現金)になってハッピーだし子会社も金の卵を生む鶏を手に入れてハッピーだということになる。しかし、連結決算で見ると、「親銀行は不良資産の処理を怠っている」ということになるわけである。どこかおかしいのであって、実際には銀行はハッピーではないはずなのである。
どこがおかしいかと言うと、「銀行が資産を売却するときには、将来の回収可能額の期待値で売却出来、従って発生する損失は現在積んでいる引当金相当の金額となる」という暗黙の前提がおかしいのである。実際に売却するときには後述のように遥かに低い価格まで買いたたかれるのである。それでも稼動資産が欲しいと考えるか否かは経営判断の問題であるが、少なくとも「絶対に売却すべきで、売らずに不稼動資産を抱えているのは馬鹿だ」と言えるほど明確な判断材料は無いということであろう。ハゲタカファンドのプライシングについては後述する。

    

実際には、銀行の子会社がハゲタカファンドを営むことは考え難いが、ハゲタカファンドへの売却がそれほどすばらしいものでは無いという事をご理解頂くために、敢えて頭の体操をお願いした次第である。
仮に「銀行のようにハゲタカファンドのノウハウを持たないところが不良資産を抱えて自分で何とかしようとしていた事が問題であった」ということであれば、そういう面はあろう。その場合には「銀行がハゲタカファンドに業務を委託して、又はアドバイスを受けながら不良資産の活用又は高値での売却に取り組むべきであったのに、自前主義が災いした」という批判をすべきであろう。それならば一理あると思われる。

 

さらに大きな問題は、全部の銀行が一斉に引当金を積んでも(BIS比率が割れないかぎり)何も起きないが、全部の銀行が担保不動産の競売を行うと、不動産需給が崩れて担保価値が大きく下がるということである。「合成の誤謬」というもので、一行だけが担保の競売を行えば、その銀行は健全になるかもしれないが、全行一斉に同じ事をすると、全部の銀行が担保処分によって得られる金額が減り、しかも不動産を所有している健全な借り手までも債務超過に陥り、結果として全部の銀行が潰れていた(あるいは奇跡的に国会を通れば数十兆円の公的資金が銀行に投入されていた)であろう。当時の日本と米国の経済状態を考えれば、日本中の不動産が一斉に叩き売られるなかで、これに買い向かうほど米国あるいは米系ハゲタカファンドの力があったとも思われないので、地価はほとんどゼロのところまで下落していたと考えても不思議ではない。こうした点を論じずに、「担保不動産は早期に競売すべきであった」と言うのは無責任ではなかろうか。

 

 

(5)「利払い不能取引先に利息を追い貸しして健全債権を装ったことで不良債権額が脹らんだ」というのも、一面的な理解である。金利が5%だとすると、銀行にとっては今年100円損するのと来年105円損するのは同じ事である。「損失の割引現在価値が等しいからである」という説明でも良いし、「今年の損を回避した100円を運用すると来年105円になり、それと同額を来年損するから」という説明でも良いが、とにかく「来年105円損する方が損害額が大きいので、損を先送りせずに今年損を出してしまうべきである」と言えないことだけは確かであろう。
全く返済能力の無い会社に対する100円の貸出債権について、毎年利息分の5円を追い貸しして利払いを行わせていれば、最終的な銀行の貸し倒れ額は脹らむが、銀行の実質的な損失が脹らむわけではない。この間、借り手の「利払い前償却前損益」が若干でもプラスであれば、銀行にとっては追い貸しを続けるメリットは充分あるわけで(どうせ倒産すれば設備は二束三文でしか売れないため、償却前の利益を考えれば充分)、これを検証せずに「追い貸しはけしからん」と即断するべきではない。

(6)「不健全な銀行を潰さなかったことで、金融システム不安の安定化が遅れた」という見解は、山一証券や北海道拓殖銀行が倒産した時に何が起きたか(単なる信用収縮のみならず、日本中の消費者が雇用不安などから消費を手控え、大不況がもたらされた)を考えれば、机上の空論であることが明らかであろう。更に言えば、銀行不倒神話の強かった日本で銀行を潰した時に、全面的な取付騒ぎが発生する可能性も当局はおそれていたに違いないわけであって、小さいところから徐々に潰していって国民の銀行不倒神話を徐々に切り崩して行った行政手腕には敬意を表すべきであると考えるがいかがであろうか?読者御自身が政策担当者であったとして、90年代前半に大手銀行を一つでも潰す勇気を持っておられたか否か、お考えいただければ幸いである。
「米国では経営の悪化したS&Lをすべて清算したから金融システムが健全になって景気が回復した」と言う人もいるようだが、米国経済にとってのS&Lの存在感と日本経済にとっての大手銀行の存在感では比較にならないほどの差があるわけで、単純に米国と同じ事をすればよいと考えるのは、余りに短絡的な発想と言わざるをえまい。

(7)「もっと早く公的資金を投入して銀行の自己資本を健全化し、貸し渋りを防ぐべきであった」という見解も現実的ではない。莫大な税金を投入して日本長期信用銀行や日本債券信用銀行などのように一時国有化するという手法により、はじめて「潰すべき銀行を潰しても大不況につながらない」ということが可能となったわけであるが、何兆円もの公的資金の投入が90年代の前半にタイミングを失せずに行い得たと考える根拠はどこにあるのであろうか?住専問題にたかだか数千億円の税金を投入するだけであれだけの労力と時間を要したことを想起されたい。また、バブル崩壊後の国民感情として、銀行救済のための税金の支出が認められる雰囲気であったか否かも考えられたい。

(8)「銀行が不良債権処理を先延ばししたことが、金融システム不安を長引かせ、銀行の貸し渋りを通じて景気回復を阻害した」という見解も説得力に欠ける。第一に、「銀行が不良債権処理を先延ばししたことは、上記に照らしてやむを得なかったことであり、先延ばしせずに処理を焦れば更に悪い結果がもたらされた」ということである。第二に、「銀行の不良債権問題が貸し渋りにつながったことが無いわけではないが、98年を中心とする比較的短期間のことであったため、90年代を通じて景気回復を阻害したわけではないということである。
90年代を通じて銀行の貸し渋りが問題とされて来たが、健全な借り手が資金調達出来ないという異常な事態がそれほど長く続くはずがない。世の中で「貸し渋り」と言われているものの中には、もちろん本当に銀行が貸し渋っている場合もあるであろうが、健全な借り手は如何様にでも資金が調達出来るからである。社債市場はたしかに未整備であるが、日本には保険会社などのBIS規制対象外金融機関が数多くあり、融資業務の拡大を狙っているし、地方銀行の中にも東京でのバブルにそれほど手を染めずに健全なBIS規制比率を保っているところも少なくないわけで、こうした所が手一杯になっているならば確かに「押し出される健全な借り手」が存在するかもしれないが、事実はそうではないわけである。
借り手が「銀行が以前に比べて融資基準を厳しくしており、私が融資を断られた。これは貸し渋りだ」と言っている場合であっても、「銀行が、従来の甘すぎた基準を適正な基準に是正した」「借り手の信用力が以前よりも落ちた」などの場合も含まれており、これらは銀行の貸し渋りとは言わないであろう。また、マクロ的な銀行貸出残高の統計を見て「貸出が減っているのは貸し渋りの証拠だ」と考えるのも妥当ではない。借り手が過剰債務の削減を目指して積極的に融資を返済しているのかも知れないからである。

(9)「破綻している借り手の延命に手を貸したが故に、日本経済の構造改革を遅らせた」という考え方も、妥当ではない。前向きの産業が人手が足りない時に、後ろ向きの産業が人員を抱え込んでいては、経済の発展にマイナスであることは疑い無い。しかし、前向きの産業が欲しいだけ採用してもなお失業者が街にあふれている時に、後ろ向きの産業を延命させずに切り捨てたとしても、前向きの産業が従来以上に発展するというわけではない。むしろ、失業者の増加で景気が悪化し、前向きの産業にさえも充分な需要が行かずに経済の発展が阻害される可能性の方が高いのではなかろうか。「米国では後ろ向きの産業が廃れて人員が放出されているから前向きの産業が人を雇う事が出来る。日本は後ろ向きの産業が人を抱え込んでいるから・・」といった比較で物を考えるべきではない。労働力需給の状況が全く異なる両国を同じ基準で比べるべきではないのである。

ハゲタカファンドへの売却について up
 

10年後に100円で償還される事が確実な割引国債が現在80円で流通しているとしよう。10年後に100円で売れることが確実な土地は80円で売れるだろうか?答えはノーであろう。流動性が低い上に取引コストもかかるからだ。たとえば市場価格が70円であるとしよう。
10年後に50円か150円で売れる確率が各50%である土地は、70円で売れるであろうか?答えはノーであろう。買い手にリスクがあるからである。たとえば60円ならばリスクをとって投資する買い手がいるとしよう。
いま、銀行が返済能力の無い貸し手に100円の貸出債権を有しており、唯一の担保が当該土地であったとしよう。担保の土地を競売してハゲタカファンドに60円で売り、これを回収して40円を償却すれば、10年後の銀行の資産は75円となる(60÷0.8)。一方、そのまま保有していれば、10年後には期待値として100円が回収出来る。どちらが期待値として銀行の損害が小さいであろうか?
90年代は結果として地価が下がり続け、銀行は担保処分をしなかったことで損をしたように見える。しかし本当にそうだろうか?ケースを分けて考えてみよう。(a)は、地価が確率50%の結果として不運な方になったという場合(銀行も不動産市場参加者も、将来の地価の期待値をそれほど低くは見ていなかった場合)。この場合には、銀行が賭けに負けたということになろう。「健全性を旨とする銀行業たるもの、賭けをするとは何事か」という批判はあるかもしれないが、ベストを尽くして期待値の高い方に賭けたとすれば、その判断は是とされるのではなかろうか。(b)銀行が読みを誤った場合(銀行よりも、不動産市場の参加者の方が将来の地価の期待値に悲観的であった場合)。この場合には、銀行が仮に担保処分をしようと考えても思った値段では売れなかったであろうから、「処分をしておけばよかったのに」ということにはならないであろう。
筆者は90年代前半の銀行と不動産市場参加者の不動産価格に関する期待について比較するデータを有していないが、いずれにせよ「銀行は早期に担保を処分しておくべきであった」と言い切れるような根拠はないように思われる。

不良債権の処理とは up
 

(4)で「不良債権は、引当金を積むのではなく、貸出債権自体の売却や、担保の処分などにより、銀行の資金を塩漬けから解放すべきであった」という議論について反論したが、議論のもととなった考え方を整理しておこう。

A銀行がX社に100億円貸出しを行い、担保として時価100億円の土地xに抵当権を取得したとしよう。バブル崩壊後、X社は銀行への返済も利払いも出来ず、全財産が時価70億円の土地xだけになったとしよう。銀行の採りうる方法は大別すれば(a)不良債権100億円を資産に残し、引当金を30億円積む、(b)不良債権100億円のうち30億円を償却する、(c)X社を法的に整理(要するに破産させる)し、不動産xを競売にかけて70億円を現金で回収する、(d)X社向けの貸し出し債権を70で売却する、の4つであろう。重要なことは、どの場合にも銀行の自己資本は30億円だけ減少するということであり、どの方法も同様に実体を正直に表わしたものであるということである。
バブル崩壊後に邦銀が主に用いた手法は(a)である。(a)では不良債権残高は減少しないため、処理が遅々として進んでいないような誤解をしている人もいるようだが、引当金を積んでいる以上、処理は終了していると考えてよいわけである。

    

ここでは、議論の単純化のため、「将来的な回収可能額の期待値」と「直ちに担保を処分した場合の回収可能額」の差を無視して議論しているが、この差を考慮しても結論には影響は生じない。

  また、「不動産価格が将来上昇するとの期待のもとに、不動産価格変動リスクを持ち続けた」という批判もあるようだが、これも妥当ではない。将来の不動産価格の変動リスクを回避しなかったために、結果として「賭け」に負けただけであって、不合理な期待に基づく判断を行ったわけではないからである。
リスクをヘッジしなかったことが「銀行にあるまじきバクチ的な行為である」という考え方あるかもしれないが、実際の不動産の処分価格というのは、前述のとおり、将来の不動産価格の期待値をリスク勘案後の割引率で現在価値に割り引いたものであるから、「この値段で売却した方が将来の損が少なくなる」と考える必然的な理由はなく、むしろ銀行の行った賭け(リスクをヘッジしないという賭け)は期待値的には是とされるものであったといえるのではなかろうか。  
     
  なお、上記は佃氏の個人的な見解であり、佃氏の属する組織などの見解をお示ししたものではありませんし、読者に投資などを勧誘するものでもありません。念のため。
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